課金の話 私は元々そんなにゲームをやる方じゃなかった (今はゲーム関係のツイートもするからゲームのイメージもあるかもしれない) 故に基本プレイ無料で課金要素があるゲームに課金するのは勿体無いと思っていた しかしFortniteをプレイしてみてその認識が変わった それまでの私のイメージはゲームの課金といえばガチャ ギャンブル要素が強いし、欲しいキャラを当てるなんてそれなりに金を突っ込むしかないというものだった ゲームの課金はそれだけじゃなかった Fortniteでスキ
カエルの合唱って指揮者でもいるのかな? だってなんだか、一斉に鳴き出すんだよ そして、一斉に鳴くのをやめるんだよ 私は蛙の鳴き声が好きだ 幼少期から慣れ親しんだ声 田舎出身の人は想像がつきやすいかと思う 私には、すんなり入眠できていた記憶がない 両親が言うには、赤ん坊の頃から夜泣きが酷く、寝付きも悪い子だったというんだから、筋金入りである 眠れない夜には、外の音に耳を傾けてみる 夏は蛙の鳴き声 別の虫の音も微かに聞こえる クビキリギリスが近くにいると
私はADHD診断済みでASD傾向はほとんどないだろうって言われている でも、ルーティンが好きなところもあってこれってこだわりなのか?多少はASD傾向もあるのか?と思ってた 例えばコンビニで事前に買いたい物が決まっているのになかったら焦る 働いてた頃は、出勤前に毎朝買うものが品切れだと遅刻していた(お昼はコーンパンにしようと決めているのに売り切れていたなど) 今は家で過ごすことが多いけど、一応自分の中でなんとなくルーティンがある 事前に予定があることが分かればそれに合わせて変
自由に選んでいい それは「この中から自由に選んでいい」ってことだと思う この中っていうのは誰だって同じわけではない 職業選択の自由について思うことがあったので書いてみる 伝わるかはわからないけど、一つ例え話を この先にいくつかのレストランがある 着いたら食べたい料理をメニューから自由に選んでね レストランまで、舗装されたルートを案内してもらえる人もいる その途中で「和食、洋食、中華、etc. どの道を選ぶ?」なんて選択肢があったり、助言してくれる人がいる道もあ
人間は考える生き物だ しかし、考えることに向いているのかと考えたときに必ずしもそうだとは思わない 考えすぎて精神を病んでしまう人 考えるよりも周りに従っていた方が楽な人 考えたくないから現実逃避をする人 そもそも考えることを意識せずに生きている人 私自身も無意識のうちに、考えずに行なっていることも多いと思う 習慣とか当たり前とかってやつだ だからといって私は考えることを放棄出来ない性分だ 上記の例の中だと、私は考えすぎてしまう人の部類だと思う 考えすぎてし
最近、ルッキズムについての話題をよく見かける ルッキズムとは「身体的に魅力的でない人への差別」である もちろん魅力的でないと見做された人々が差別され、不利益を被るのは良いことではない 誹謗中傷や容姿に関する心ない言葉をかけるのは時代錯誤というか、そもそもあってはいけないことだと思う しかし、美しい容姿を求められる場がある ミスコンについての記事に「ルックスで人を判断するなんて時代遅れだ」等のコメントがたくさん付いているのを見た 多くのミスコンでは容姿以外の基準も設
私は英語に対して苦手意識が強い 中学生の頃、英語の担当が私が所属していたテニス部活の顧問だった 顧問は今では問題になるような体罰をするような厳しい先生だった ラケットや顧問がその時に持っていた物を投げつけてくる 故意にボールを顔や身体や強く当ててくる とにかく毎日怒鳴られ、良いプレーをしても褒めることはなかった 元々運動音痴な私はとにかく部活が嫌いだった (なぜ、運動音痴の私がテニス部に入ったかはここでは割愛する) その顧問が教室に来るというだけで英語の授業は
男らしさと女らしさ 最近はこの言葉に疑問を持つ人も多い 私もその一人だ そもそも男らしさって何? 逞しくて頼り甲斐があって仕事も出来る人? 女らしさって何? 可愛くてお淑やかで料理が得意な人? どうしてそれらをまとめて表現する必要があるのだろう そこから外れた人々は男/女として失格だと思う? 求められている像に近い人間が優れている? 所謂男らしい/女らしい人たちを否定するつもりはない 私はそれらを単純に性別らしさで語ることに疑問を持っている 個人の内面
差別意識をなくしたいのは私個人の理想 社会的にはそんなのなくせないんじゃないか また、自分の中の差別も、完全にはなくせないんじゃないか 最近は自分が無意識の差別を持っていた事に気付くことが増えた そして、これからもきっと自分の中の差別意識に気が付き、向き合い続けなきゃいけない 私個人はそうすべきであると思うし、そうしたい 差別って泉みたいなものだと思う 今、社会が関心のある差別が見えなくなったとしても、新たな差別に人々は気が付いていくんじゃないか なぜなら、差
あなたの全てに共感しますなんて方が異常なんだから、違った視点を持った人、意見を交わせる人を大切にしたい 私には私の思想がある だからといって、もちろん他人の思想を否定しない 同じテーマでも違った思想を知るのは、視野を広げるために必要不可欠だ 私にはない視点、価値観 自分の思想を見つめ直す、より精度を上げていくには他人の思想を摂取すべきである 深く思想をしない人も否定しない 思想をしないというのもまた、思想なのかと思う 私は、自分のために思考をしている 考え
これは私の個人的な意見である 性を売ることをバカにする人間もある程度必要だと思っている 何故なら、そうでないと業界が売る側の飽和状態に陥るからだ それは売る側も困る このコロナ禍でも、性を売るしか生きる術がない人たちも沢山いる 精神障害者女性の受け皿という側面もあると感じる 私は以前の主治医に「今の仕事を辞めたい。もう死にたい。」と訴えたことがあるが 「性を売るのも立派な仕事だよ!下積みだよ!」と言われた その発言が実際にあったことを証明する術はないが、嘘ではない な
私は元々、性を売りにして生きていた それをどうしてもしたくなくなった理由 バカな女で居続けるのが辛いから 私は、相手に合わせて対応を変えるのが得意だった 賢そうなことを言うことも出来る(実際に賢いわけではない、今もそうだけどそれっぽいことは言える) ヘラヘラ笑って、相手を褒めちぎり、私は無知だという態も出来る 相手が話すのが苦手であれば、こちらから話を振ったり、自分が話したりすることも苦手ではない ただ、その中で無知な女を演じ続けることに限界を感じた 一番、私が私に嘘を
入院生活が数日経っても、自分の身には何が起きたのか思い出せなかった 勇気を出して母親に尋ねる 「階段から落ちたんだよ」 過去にも階段から落ちて肋骨を折っていた私は、今度は随分と派手に落ちてしまったんだなって納得 するわけもなく どう考えてもおかしい 爪の間に土みたいなのが詰まっている だって身体拭いてくれるおばちゃんも土だねって言ってたもん! メイ見たもん!トトロいるもん!! そして疑問を抱いたまま、退院 家の階段は玄関を入ってすぐのところにある 玄関マットは血痕も
私が人生で最もアグレッシブなメンヘラをやっていた頃の話 当時の私は自殺未遂を繰り返していて、古い友人にはげんきは死んだ、何度も死んだって言われている 一番死にそうだったのはフォロワーの家で肺炎になったとき(普通に身体の疾患なの笑う)(笑えない)(地元から二時間以上離れた場所で二週間入院) 次に死にそうだった時は 青いお薬を沢山飲んで、気付いたら次は見知らぬ天井 なんかわかんないけど身体が痛い ここでサラッと告白しておくと、私は二重整形をしている 顔も痛いけど私って今二
私は人の悪口を言うほど優しくない 興味のない相手にそこまでしてあげられない 必要以上に自分の脳内に他人を留める気はない 私は興味がない他人はどうでもいい 本当に、どうでもいい そりゃイラっとすることはあるけれど、わざわざバトルしようなんて思えない Twitterとかでよく見る、どうでもいいだろう人に噛み付く人 精神は不健康なんでしょうけど、エネルギーがすごい 私はそんなところに割いているほどのエネルギーはない 熱量って人それぞれ持っている量が違うと思うんだけど、私
私は、自分のことをかわいいって言う それはもう、沢山言う 私ってかわいい!!! なんで私は私をかわいいって言うのか ひとつは、それでしか生きてきていないから ルックスと女性という性でちやほやされて そしてお金も頂いていた そういうことしていると、自己嫌悪に陥ったり、後悔したりする人も多いとは思う 私は違った お金を貰うことで、自己肯定感が爆上がりした 私に会うために、繰り返しお金を払ってくれる人がいる ただなんとなく、求められたいという理由で無料の性を提供していた頃に