職業選択の自由について思うこと

自由に選んでいい

それは「この中から自由に選んでいい」ってことだと思う

この中っていうのは誰だって同じわけではない

職業選択の自由について思うことがあったので書いてみる

伝わるかはわからないけど、一つ例え話を


この先にいくつかのレストランがある

着いたら食べたい料理をメニューから自由に選んでね

レストランまで、舗装されたルートを案内してもらえる人もいる

その途中で「和食、洋食、中華、etc. どの道を選ぶ?」なんて選択肢があったり、助言してくれる人がいる道もある


一方、誰も道なんて教えてくれない、舗装もされていない険しい道を歩く人もいる

道に迷っても教えてくれる人はいない(いたのかもしれないけど、会えなかったなんて場合もある)

途中で高い山がそびえ立っていたり、邪魔をしてくる者がいたりする

分かれ道も自分で選んで進むしかない

着いたレストランには、自分が食べたくない料理や誰も食べたがらないような料理しかなかった

でも、食べなければ餓死してしまうような状態

(舗装されていない道を通っても、なんとか沢山のメニューがあるレストランにたどり着く人だっている 素晴らしい努力である)

メニューが沢山あるレストランでは、もちろん自由に選ぶ選択肢が豊富だ


仕事に話を戻そう

仕事は世の中に沢山あるし、今の仕事が嫌なら辞めればいい

職業選択の自由がある

確かにそれも一理あるとは思う

しかし、中には選べる仕事がいくらもない人間だっている

現実的に考えて、選べる仕事が少ない人

そうなる前になんとかすればよかったのでは?なんて言われても、目の前のこと生きることに精一杯で、道を探す余裕もない

家庭環境だったり、障害だったり、学歴だったり、理由は色々あると思う

そういう人間にとって、仕事はいくらでもあるとか、その仕事は不潔だの淫らだの言って取り上げようとするなんてのは私は残酷な話だと思う

搾取はやめようとか、道徳的になんたらとか言ってその仕事を否定する人たちが、何の責任を取ってくれるんだ

選べる仕事が少ない人間が生きていくために選んだ方法

本当は福祉に繋がるべき人たちが繋がらないっていうのも問題の一つではあると思う

実際に私は医療や福祉に繋がるのが遅かったと感じている

仕事を奪い取るのなら、その前に福祉の問題点を解決することが先なのではないか


なんだかまとまりがない文章になってしまったね

福祉について思うこともいつかツイートかnoteでもう少し詳しく書いてみたいと思うけど、話が逸れていってしまうので今日はここまでにする


何が言いたかったかっていうとつまり、自由と言っても選べる選択肢から選ぶしかないんだ











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