性別らしさって必要?
男らしさと女らしさ
最近はこの言葉に疑問を持つ人も多い
私もその一人だ
そもそも男らしさって何?
逞しくて頼り甲斐があって仕事も出来る人?
女らしさって何?
可愛くてお淑やかで料理が得意な人?
どうしてそれらをまとめて表現する必要があるのだろう
そこから外れた人々は男/女として失格だと思う?
求められている像に近い人間が優れている?
所謂男らしい/女らしい人たちを否定するつもりはない
私はそれらを単純に性別らしさで語ることに疑問を持っている
個人の内面をきちんと見るつもりがないようにすら感じてしまう
ひとつひとつの個性を、その人らしさを、その人の努力を、ただの性別らしさなんて言葉で片付けたくない
また、少しずつ意識は変わりつつあるが、社会で求められるジェンダー像に囚われて本当にその人が求めているもの、表現したいもの、好きなものを否定されることも、まだまだ多い
最近では、可愛いものやスイーツが好きなことを公言する男性
バリバリ働きキャリアを積む女性
女々しい、男勝りだと否定的な目で見る人も多かったものが受け入れられてはいる
しかし、それらはコンテンツとして消費されているようにも思う
特にジェンダーレス男子なんて、わざわざコンテンツにして、話題性を持たせ、結局は男子という言葉をつけることでジェンダーを強調している
結局"映え"なのである
LGBTQに関してもそうだ
理解は進んでいるだろうが、まだまだ「そういうジャンル」みたいな感覚を持っている人が多い
それが無意識なものである人もいるだろう
創作物じゃないのに、当事者たちまで美化して、話のネタにして、勝手に盛り上がっている
これらも"らしさ"の押し付けだろう
私は個人の力で社会が変えられるとは、もちろん思っていない
ただ、私が感じていることや思っていることをここに記すことで、読んでくれた人が"性別らしさ"について今一度考えるきっかけになるかもしれない
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