げこ

怖い話、不思議な話、変な生き物たちが好きです。

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最近の記事

閲微草堂筆記(284)貞女の訴え

巻十四 貞女の訴え  族姪の竹汀が言うことには、とある農家の婦人が若くして寡婦となった。彼女は二度と他に嫁がないと心に誓って姑に尽くし、子を養い、一年あまり経った。  ある日のこと、華美な装いをした青年が塀の欠けた隙間からこちらを覗き見ていた。婦人はどこかの旅人が誤って入って来たのだと思い、罵って追い払った。  ところが次の日、青年はまたやって来た。  考えてみれば、近隣の村にこのような青年は居らず、また、地元の人でそのような華美な装いをする者もいない。婦人は心の中でこれ

    • 閲微草堂筆記(283)四年越しの天罰

      巻八 四年越しの天罰  董曲江が言うことには、隣県に一人の寡婦がいた。  ある夏の夜に盗賊が窓をこじ開けて押し入り、眠っていた寡婦を闇に乗じて犯した。寡婦が目覚め、驚いて叫ぶと賊は走って逃げ去った。  寡婦は恥辱と憤怒のあまり病を患って死んだが、その賊の名はついに判明しなかった。  四年余りが過ぎた頃、突如、村人の李十が雷に撃たれて死んだ。  とある婦人が手を合わせ念仏を誦えながら言った。 「某婦人が恨みを雪いだんだねぇ。彼女が助けを呼んだ時、私はこの目で李十が塀から踊

      • 閲微草堂筆記(282)無頼の狐

        巻二十一 無頼の狐  高冠瀛が言うことには、ある人の邸宅の裏の空き家に狐が一匹、住んでいた。その姿形は見えなかったが、人と話すことができた。  その家にはそこそこの貯えがあり、狐が何かしら手を貸しているのではないかとされていた。その話を信じている男がおり、その家の人を通して狐との交流を求めた。狐もまたその求めに応じその男と親しくなった。  ある日、その男は宴席を設け、狐をもてなそうとした。これを聞いた狐は「私は老いてはいるが、大喰らいですよ。」と言った。そこで男はたくさん

        • 閲微草堂筆記(281)幽鬼の秘め事

          巻十六 幽鬼の秘め事  李芍亭が言うことには、彼の友人がかつて避暑のために僧寺を訪れた。  その禅室は非常に清潔であったが、後ろの窓が板で塞がれていた。友人はその下に寝床を置いた。  その晩は月が明るかった。枕の側には指先ほどの隙間があり、そこからほのかに光りが漏れているようだった。  友人は塞がれた窓の後ろに僧の隠し部屋があるのではないかと疑い、窓紙に穴を開けて覗き見た。そこは空き地になっていて、棺が安置されていた。  これは必ず幽鬼が出るに違いないと思った彼は、横にな

        閲微草堂筆記(284)貞女の訴え

          閲微草堂筆記(280)里俗

          巻十六 里俗  私の里のならわしでは、病の重い者があるとその者が着ている衣の襟の一部をひそかに切り取り、熾火(おきび)にくべる。  その灰に篆書や籀文(書体の一種)のような白い斑模様があらわれるとその病人は必ず死ぬが、字の跡がない時は生き延びる。  また、紙をつなげて遺体にかける布団をつくる時、それを貼り合わせるのに糊を使わず、ただ砧(きぬた。洗った衣服を叩く道具)の台の上に置いて秤の錘(おもり)を使って叩く。その合わせ目がぴったりとつながると病人は必ず死ぬが、つながらない

          閲微草堂筆記(280)里俗

          閲微草堂筆記(279)交誼

          巻五 交誼  長山出身の聶松岩は篆刻を得意とし、都を遊歴していた。その昔、彼が私の家に居候していた際語ったことには、彼の郷里に狐と友人になった者がいた。  賓客や友人が集まって宴会をひらく時には、いつもこの狐を招き同座していた。共に飲み食いしながら歓談する様子は人と何ら変わらなかったが、ただ声が聞こえるのみで、その姿を見ることはなかった。  ある者が狐と顔を合わせようと無理強いして言った。 「対面していても顔が見えないのでは、どうやって交友を深めることができようか。」

          閲微草堂筆記(279)交誼

          閲微草堂筆記(278)袁愚谷

          巻十四 袁愚谷  制府(総督の別称)の袁愚谷(諱は守侗。長山の出身であり、直隷総督の位まで昇進し、諡を清慤という。)は、私とは幼いころ、席を並べて勉強していた仲であり、また、姻戚関係でもあった。  袁愚谷が自ら言うことには、三、四歳の頃、彼にはまだ前世の記憶があったらしい。五、六歳になると、ぼんやりとしてはっきりとは思い出せなくなり、今はただ、前世で歲貢生であったこと、その家は長山からはそれほど離れていないことのみを覚えており、姓名や本籍、実家のことやその事跡については全て

          閲微草堂筆記(278)袁愚谷

          閲微草堂筆記(277)黄金印

          巻八 黄金印  閩(現在の福建省の一帯)地方には方竹がある。燕山の柿もわずかに方形であり、これらはそれだけで独立した一種である。  山東の益都には方柏があるが、これはそもそも、その一株だけがたまたまそうなっているのであって、他の柏の樹は方形ではない。  私は八、九歳の頃、外祖父の家の介祉堂の中に菊が四鉢あるのを見た。それらの菊は、開花するとその花弁がすべて正方形になっており、まるで剪刀で切りそろえたかのようであった。  伝えるところによると、これは天津の查氏より得たもの

          閲微草堂筆記(277)黄金印

          閲微草堂筆記(276)巴蝋蟲

          巻四 巴蝋蟲  戊子の夏のことである。都では飛蟲が夜に人を傷つけるという噂が広まっていた。  しかしながら、実際に蟲に傷つけられたという者は無く、ただその図像が出回っているだけであった。  その形状は蚕蛾のようだがそれより大きく、鋭い蹴爪のようなはさみがあって、物好きな者はこれを射工(中国の伝説上の毒虫)ではないかと言っていた。  按ずるに、短蜮(射工の別称。短狐ともいう。)は、砂を含み人の影に吐きかけるが、飛んで人を毒針で刺すという話は伝わっていない。射工であるという説

          閲微草堂筆記(276)巴蝋蟲

          閲微草堂筆記(275)天佑

          巻七 天佑  同郷の閻勛はその妻が従弟と通じているのではないかと疑い、ついには銃を携えて行って従弟を撃ち殺すと、家に戻ってきて妻も殺そうとした。  刀をぶすりと妻の胸に突き立てたが、まるで鉄の石にでもあたったかのようにガッガッと音がして、とうとう傷つけることができなかった。  ある者は言った。 「これは鬼神が無実の罪で死ぬことを憐れんで、ひそかに加護を授けたのだ。」  しかしながら、無実の罪で死ぬ者は多いのに、何故鬼神はその全てに加護を授けないのか。これはこの妻が別に善

          閲微草堂筆記(275)天佑

          閲微草堂筆記(274)二つの袋

          巻二十三 二つの袋  丹公がさらに言うことには、科爾沁(ホルチン。モンゴルの一部族)の達爾汗(ダルハン)王の下僕の一人は、かつて道を歩いていたところ、毛織物でできた袋を二つ拾った。  その袋のうちの一つには人の歯が満杯に入っていた。そしてもう一つの袋には人の指の爪が満杯に入っていた。  彼は内心すこぶる怪しみ、これを水中へと投げ棄てた。  しばらくして老婆が一人、ひどく慌てた様子でやって来て、あちこち見回しながら、何かを探しているようだった。  老婆は下僕に「袋を二つ見なか

          閲微草堂筆記(274)二つの袋

          閲微草堂筆記(273)狐の罠

          巻二十三 狐の罠  喀喇沁(カラチン)公の丹公(号は益亭といい、名は丹巴多爾濟、姓は烏梁汗氏、蒙古の王族の子孫である。)が言うことには、内廷の都領侍(官名)である蕭得祿は、幼いころに丹公の官邸で小間使いをしていた。  その時彼はたまたま、何か黒い猫のようなものが樹の下に臥しているのを見た。戯れに弾丸を撃ってみると、それは素早く身を翻し、巨大な犬のようになった。さらに撃つと、また身を翻し、しまいには巨大な驢馬のようになった。蕭得祿が怯えてそれ以上撃たないでいると、その何かもま

          閲微草堂筆記(273)狐の罠

          閲微草堂筆記(272)狐媚二話

          巻七 狐媚二話  いとこの垣居がその昔、劉馨亭から聞いたという二つの話。  そのうちの一話である。農家の息子が狐に惑わされたため、術士を招いてお祓いをした。狐はすぐに捕えられ、油釜で煮込まれそうになった。息子は叩頭して命乞いをし、狐はやっとのことで開放され、去って行った。  しかしその後、息子は狐を恋慕うあまり、病を患ってしまい、医者では治すことはできなかった。するとある日狐が再び息子の元を訪れた。互いに顔を合わせた時は悲喜交々といった様子であったが、しばらくして狐はひどく

          閲微草堂筆記(272)狐媚二話

          閲微草堂筆記(271)二人の術士

          巻一 二人の術士  安中寬が言うことには、その昔、呉三桂(明末清初の将軍。三藩の乱を起こし、周王朝を建てて皇帝を称したが清に滅ぼされた。)が謀叛を起こした時のこと、六壬(占いの一種)に精通していたとある術士が、呉三桂の軍に身を投じようとした。  たまたま出会ったもう一人の術士もまた、呉三桂の軍に身を投じたいと言うので、ともに宿に泊まることにした。  術士が西の壁の下で寝ていると、もう一人の術士が言った。 「君、ここで寝てはならないよ。この壁は亥の刻に倒れるだろうからね。」

          閲微草堂筆記(271)二人の術士

          閲微草堂筆記(270)くしゃみ

          巻十四 くしゃみ  汲孺愛先生(先生は私の遠縁のいとこの子供にあたる。私は幼いころ先生に教えを受けたため、それからというものずっと師に対する礼節をもって先生に接している。)が言うことには、交河のとある人は、塚の近くに田畑を有してた。  家に戻るには遠く、近くに小屋を建ててそこに住んでいた。夜には常に幽鬼の声が聞こえたが、すっかり慣れしまっていて、いちいち怪しむこともなかった。  ある晩のこと、塚の方で誰かが大声をあげていた。 「お前さん、一体どうしてそんなにぼろぼろなんだ

          閲微草堂筆記(270)くしゃみ

          閲微草堂筆記(269)掌返し

          巻九 掌返し  人の態度というものは瞬く間に変わる。妖魅もまた同様である。  編修(官名)の程魚門は言った。 「王文莊公は北郊での祭祀に陪席する際、必ず安定門の外の墳墓の園庭に宿を借りていた。その園庭にはもとより祟りがあるとされていたが、文莊は一度も目にしたことがなかった。ところがある年、彼は灯りの下でその祟りを目の当たりにし、それから半年後に亡くなった。これは所謂、『山鬼は一年に起こる出来事を知ることができる』(※)ということだろうか。」 ※『史記』「秦始皇本紀」の記述

          閲微草堂筆記(269)掌返し