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閲微草堂筆記(281)幽鬼の秘め事

巻十六 幽鬼の秘め事
 李芍亭が言うことには、彼の友人がかつて避暑のために僧寺を訪れた。
 その禅室は非常に清潔であったが、後ろの窓が板で塞がれていた。友人はその下に寝床を置いた。

 その晩は月が明るかった。枕の側には指先ほどの隙間があり、そこからほのかに光りが漏れているようだった。

 友人は塞がれた窓の後ろに僧の隠し部屋があるのではないかと疑い、窓紙に穴を開けて覗き見た。そこは空き地になっていて、棺が安置されていた。
 これは必ず幽鬼が出るに違いないと思った彼は、横になって頭を枕に乗せ、片目で様子を伺っていた。

 夜半になり、果たして、人のような黒い影が現れ、樹の下を行き来していた。よくよく観察してみたが、男女の違いはかろうじて見分けられるものの、その目鼻立ちまでははっきりとしなかった。
 耳をぴたりと隙間につけて盗み聞きしたが、声や会話は聞こえなかった。

 安置されている棺はおよそ数十あったが、見えた幽鬼はわずかに三、五人で、多くとも十余人を越えなかった。
 あるいは久しく時が経ったためにだんだんと消滅したか、あるいはすでに成仏したものと思われた。

 このようにすること一月あまり、友人はこのことを他の者に告げることはなく、幽鬼もまだ気づいていないようだった。

 ある晩のこと、二人の幽鬼が樹の裏で睦み合っていた。それは窓の下からわずかに七、八尺ほど離れているだけであった。官能的なさまは、人間のそれをはるかに上回っており、友人は思わず声をあげて笑ってしまった。その途端、幽鬼は跡形もなく消え去った。
 次の晩、友人は再び窺ってみたが、一人たりとも幽鬼は見えなかった。

 数日が経って、友人は病に罹り、激しい悪寒と発熱に苦しめられた。幽鬼の祟りであると思われたため、彼は他の寺に宿を移した。

 幽鬼のごとく変幻するものであっても、予想外の出来事は避けられず、人に秘め事を見られてしまうものなのだ。
 「十目十手(十人に見つめられている、十人に指さされている)※1」というが、これはあながち嘘ではない。
 しかしながら、その友人は智慧において幽鬼を上回っていたかもしれないが、結局は幽鬼の祟りを免れることはできなかった。
 「淵中の魚を察見するは不詳なり(秘密を知るとかえって身のためにならない)※2」というのも、このことではないか。

※1 十目十手・・・『礼記』「大学」より。「十目の見る所、十手の指す所、其れ厳なるか」で、多くの目が見、多くの手が指して指摘することは厳正で重みのあるものだという意味。

※2 察見淵魚者不祥・・・『列子』「説府」や『韓非子』にも見える言葉。

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