月刊コグマ#9 H
Hot : 小話
ずっと、暑かった。
9月の頭に少し寒くなったので、
このままずっと寒くなるといいな なんて思っていた。
しかし、その数日後の今。
再び夏らしさが戻ってきたかのように日が照っている。
やっと脱エアコンが出来たと思ったのだが、まだまだ脱け出せないらしい。
暑くていいことってあるのだろうか。
別に僕は虫が好きなわけじゃないから、暑いのは迷惑だし、プールに行くわけでもないから大丈夫。
あ、夏のアイスって美味しいよね。
今年もいっぱいアイスを食べました。
これは暑いからこそ楽しめるやつなのかもしれない。
まぁ、コタツで食べるアイスも美味しいのだが。
あ、夏だからこそホラーものが見たくなるってのもあるね。
自分でホラーゲームはやりたくないけど、配信者や投稿主がやっているような動画は見ることが出来る。
いやぁ。こうやって文字に起こしてみると骨の髄までチキンだなぁ。
ぼくってもしかしてオイシイのかしら。
いつまでこの暑さが続くのかは分からないけど、出来れば10月には涼しくなっていてほしい。
キンモクセイの香りに相応しいのは、やっぱり暑さじゃなくって少しの肌寒さなんだから。
How is it?
久し振りの学校が再開して早数日、といったところか。
2か月ほども友人たちと会っていないと名前を忘れてしまっている人も少なくはなく、話しながら記憶を頼りに引き出していた。
そんな瞬間に申し訳ないな、と思いつつもオリエンテーション期間をこなした今、自分は嫌な感じの足の筋肉痛に苛まれている。
夏休みの期間もバイトはしていたとはいえ、家ではずっとパソコンの前かふとんの上という自堕落な生活をしていたので、そうなるのは必然、といったところか。
バイトだって、入っていたのは週3から週4。
もちろんその間は立ちっぱなしだし、歩いている時間も長いから体を動かしていないわけではないのだが、逆に言えばそこだけだった。
そもそもバイトでキツイのは立ちっぱなしな事じゃなくて、値引きをする際に中腰になることだ。
商品棚の低い位置にある商品に値引きのシールを貼る際は、どうしても中腰にならなくてはならず、その商品がいっぱいあった時にはその体勢を長く続けなくちゃいけない。
たぶん、あのバイトでの一番のダメージは腰に来てると思う。
ちなみに、パソコンの前で何をやっていたかというと、ほとんどゲームである。
例えば、9月10日にペルソナ3 リロードのエピソードアイギスが配信されたのだが、それをクリアするのに1週間ほどかけていたこともあった。
せっかくだしと思い、エピソードアイギスの最高難易度であるHeartlessを選択しプレイしていたのだがいかんせん敵が硬い。
もちろんWeakを突けば相手はすぐにやられる…なんてこともなく。
ペルソナ3以降のシリーズでは、敵の弱点を突きダウンを取る戦い方が基本なのだが、敵全員のダウンを取ると総攻撃ができ、敵に大ダメージを与えることが出来るという仕様だ。
特にエピソードアイギスの序盤なんかが顕著だったが、この総攻撃を決めても敵の体力が少し残っている なんてことがたくさんあったのだ。
戦闘システム自体はサクサクしていてテンポがいいのでそこまで苦でもないのだが、エピソードアイギスの仕様のおかげでそれを何度も何度もやらされる。
さすがに途中で飽きてしまったので、好きな配信者のアーカイブを流しながらのダンジョンを攻略していく作業になってしまったのは否めない。
でも、ストーリー自体は面白かったし、ちゃんと綺麗に収まったのでよかったと思う。
ラスボスの存在理由も納得できてよかったし、BGMもよかったし、楽しかった。
夏休みにやったゲームはエピソードアイギスだけじゃない。
友だちに誘われて前に買っていた、モンスターハンターワールドをさすがにやろうと思い、エピソードアイギスが始まる前と後にせかせかとやっていた。
モンハン自体やるのが初めてだったので、色々と新鮮だったのだが、やっていくうちにコツを覚えた感覚もあってよかった。
操虫棍を使っていて、初めはエキス採集から印弾からなにからなにまでわからなかったので、それを今では不器用ながらに使いこなしているというのが本当に面白い。
始めはなんだよこのダサい虫は、と思っていた猟虫に愛着すら沸いてきている自分の変化に少し恐ろしくもある。
まだまだこちらはアイスボーンも残っているので、色々な準備をしてそっちにも望みたい。
と、言うような感じで言ってしまえば夏休み後半はゲーム盛りだくさんだった。
充実はしていたし、楽しかったので今は後悔がないけれど、友人らのどこかに行って楽しかった旨の話をされたら、後悔してしまうかもしれない。
けどまぁ、それも一興ってやつだろう。
夏休み前半は想像以上に充実してたと思うし、後半だってドラマとかもいっぱい見たし、自分は満足だ。
あなたのお休み期間はどうでしたか?
僕は結局こんな生活をしたがゆえに、足を痛めているわけですが…
あなたの調子はいかかですか?
Human Scent
久しぶりにだったり、まったく関係のない場所にだったり。
そんなところに訪れたときに心のどこかがムズムズする感覚。
どこか懐かしくて、少し泣きそうになるような。
ゆったりとその雰囲気に浸かっていたくなるような。
そんな感覚。
今回はそんなことにまつわる話をしていこうと思う。
今日からオリエンテーション期間だということで、まずは当日。
とはいえ、言ってもオリエンテーション期間なので学校に行くのは水木のみでよかったため、めんどくさいなぁという気持ちも持ちつつ学校へと足を運んだ。
水曜日。
この日はスーツを着る用事があったため、スーツを身にまとい学校へと行くことに。
久し振りのスーツで地味に心の中はドキドキしていて、少し自分もワクワクしていた。
友人に会うのもいつ以来だろうか。
一緒にバーベキューをした人たち以外だと、夏休み前、テスト以来になるのか。
なんてしみじみと考えながら、電車を乗り継いでいた。
駅について、ホームから降りて改札に向かう。
階段を下りているそのとき、ふわっと自分の鼻に懐かしい匂いが流れてきた。
毎日のように感じていた駅の匂い。
それともこれは、たくさんの人が往来するからこそ感じることの出来る匂いなのだろうか。
匂いは人がそこにいたことを示す重要なものだと思う。
だって匂いがあるからこそ、記憶をたどることが出来るんだから。
モノがあって、雰囲気があって、匂いがあって。
それで生活感なんじゃないか。
そんなことを改札に向かうとき、ふいに思った。
考えてみれば、自分はホテルの匂いが好きだ。
あの匂いはホテルの人が常につけている消臭剤の匂いなのか、それとも人の匂いなのか。
どちらもが混ざり合ってあの雰囲気を生んでるのかもしれない。
ホテルに泊まってる時のワクワク感がロビーには充満していて、その雰囲気が匂いをその匂いが雰囲気を作っている。
そんな気がしてならない。
自分は旅行から帰ってきたとき、部屋の窓を開ける前の家の匂いも好きだ。
あの匂いを嗅ぐと、家に帰ってきたんだなぁという気持ちになる。
どこか懐かしさも感じる。
まぁ、実際はホコリが充満してる匂いなのかもしれないが…
もしかして、駅のあの匂いもホコリが充満してる匂いの可能性はないか?
それだったら、さっきまで心の中でグッと来ていた感情が一気に馬鹿らしくなってくるのだが。
匂いはいろんな記憶を思い出させてくれる。
人との記憶だったり生活の記憶だったり。
匂いには確かにひとの存在があって、そこにいつの日か存在していたことを教えてくれる。
そんな匂いが僕は好きだ。
Happy and Heartless world
もし、自分のやってきたことのすべてが報われたら。
そうやって考えたことが何度もある。
僕と関わってきた人たち全員が報われて、今 幸せでいてくれたら。
そう思ったことが何度もある。
この世界に生きる人々みんなが報われて、幸せになれる世界。
そんな世界が存在するのだろうか。
…そして、そんな世界が存在していいのだろうか。
今までの生活の中で、報われなかったことなんていっぱいある。
それこそ、今年の頭ぐらいにあったことも個人的には頑張ったことだし、報われたかった。(まぁあれは迷惑かけたし、そんな思いに届くほど他の人と比べると頑張ってないから報われないのも当たり前なのだが)
報われなかったら、何のためにこんなのことするんだろうって色々と馬鹿らしくアホらしくなって、手を付けることもおっくうになる。
もちろん、メンタルもすごい傷つくしさ。
だから、報われたいって。
報われる人はいいなぁ、なんて思っていた。
でもその反面で、報われない だからこそ挽回してやる
という気持ちが芽生えることも少なくはない。
吹奏楽をやっていたころなんかは特にそうだったが、自分の頑張ってきたものが否定されて悔しくて、でもだからこそもっと頑張って見返してやるって何度も奮い立たせてきたのだ。
自分の楽器が一番カッコいいんだぞという気持ちをのせて、片手でそいつを握りつぶしてやるような感覚で、対抗心を燃やしてきていた。
もし、報われることがなくなって、否定されることもなくなって、すべてが理想通りになったら。
なってしまったら。
今まで培ってきた、やってやるぞという気持ちがすべて無駄になってしまう。
そんな気がする。
今までの自分が成長できた要因がすべてなかったことになるなんて、そんなのは我慢できない。
そう考えると、報われない というのも地味に悪くは無いのかもしれない と思えるようになった。
もちろん努力が認められずに切り捨てられて、苦しい思いをすることだってこれからあるだろう。
全部が報われなくったっていい と言ってるわけじゃないんだ。
だっていつか、許容量を超えてダメになってしまうことだって少なくはないから。
でも、この世界は報われないだけの世界じゃないことは僕たちだって知ってるはずだ。
友だちや好きなアニメ、漫画、音楽、キャラ、ゲーム…
上げればキリがないほどに僕たちに楽しさを分けてくれる存在だってある。
まぁもちろん、人生プラスマイナスゼロ なんて言うつもりはない。
ゼロに戻らない可能性のが多いくらいだ。
今のこの世は幸せで無情な世界。
その中で精一杯あがいてあがいて、生き続けた先に何があるのかは分からないけど、明るいものであると嬉しいよね。
Hoshino Gen ~星野 源~
自分が本格的に音楽を聴き始めてからずっと応援している。
自分の中で音楽の3本柱として存在しているミュージシャンがもちろん3人いるのだが、その中の一人が星野源さんである。
彼の音楽を初めて知ったのは自分が小学6年生の時。
ちょうど逃げるは恥だが役に立つがやっていた時の頃だ。
恋ダンスが世間で話題になり、社会現象となっていたのを未だに覚えている。
もちろん自分の学校も例外ではなく、みんな逃げ恥を見ていたり恋ダンスを踊っていたように思う。
でも、小学生の時は音楽にそこまで関心がなく、恋に関してもまぁいい曲なんじゃないの?くらいに幼心で思っていた。
星野源さんの曲にハマったのは中学生の時。
自分は吹奏楽部に入部していて、少しは音楽理論的なモノもかじっていた時期だった。
テレビでNHKを見ていた時のこと。
おげんさん(星野源がサ○エさんのような風貌に女装して行うNHKの音楽番組「おげんさんといっしょ」のキャラ)が星野源のライブ「Continues」のダイジェストを紹介していた番組をたまたま観た。
そのときに聴いた、星野源の曲「化物」に強く心を惹かれた。
曲始めの星野源のマリンバでの驚き。
そして、この曲の歌詞に強く共感できる部分が多くあったのだ。
中学生の時はスマホも持ってないため、曲を聴くとしてもYoutubeにある曲しか聞くことは出来なかったので、その番組の録画を何度も何度も見たのを覚えている。
MVも含めて好きになった曲として、夢の外へという曲もある。
この曲の歌詞の根幹は今の僕の自己の一部を形成してると言っても過言じゃないくらいに聴き倒した曲である。
曲途中にある6/8拍子のところはメロディの弦楽器も好きだし、踊っているダンサーの井手茂太先生と星野源のダンスも好きだしと自分の好みにグサッとくるものが多く、とても感動したことを覚えている。
高校生になってからはスマホを持ち始めたので、より音楽を聴けるようになった。
昔の曲や、今までの曲のカップリングで入っていた曲なんかもたくさん聞くことが出来て、とても嬉しかったのを覚えている。
音楽に関してはとても充実していたと感じる。
中学3年の後半あたりから本を再び読み始めていた自分は、高校生になって彼のエッセイ集を買うことになる。
エッセイは著者のフィルタを通して見える世界が書かれているため、自分の目で見える世界とはまた違った世界を見ることが出来る。
それがとても面白かった。
だからこそ、自分は今こうやってnoteという僻地(笑)でエッセイの真似事のようなことをしているのかもしれない。
彼の俳優としての一面もとてもカッコいいと思う。
それこそ、逃げ恥から俳優の星野源を知っているが、その役とコウノドリの役、MIU404の役では全然種類が違う。
俳優はそれをこなすのが普通なのかもしれないが、単純にすごいと思う。
俳優としても音楽家としても、同じ時期に近いころから初めていて、そのどちらもが開花しているのだから。
なんなら執筆活動も自分で仕事を取って来て、それが今でも続いているというのだから、尊敬をするほか無いと思う。
彼の創作活動や表現のおかげで、今の自分がいると言ってもいいくらい、とてもいい影響を受けていると胸を張って言える。
さぁ、そんな星野源さんのエッセイ集
「いのちの車窓から2」が2024年9月30日に発売になります!
らしいですよ。
ぜひ手に取ってみてください。
やっぱり本は本屋で買いたいから、
僕は学校行ったついでに買おっかな。
Hidden A What If Story : まとめ
分岐点というか、パラレルワールドというか。
もし、自分がこの行動をしていたらありえた世界は確実に存在すると思う。
というかあってほしいと思っている。
そう思ったら、選べなかった/選ばなかった僕でも少し報われるように感じるから。
もしかしたら成功してたかもしれないのにね。
って心の中でメンタルケアを行う。
もし、自分があの時こんなことをしていたら、何が変わっているだろうか。
もしかしたら今東京にいないかもしれない。
静岡にいたまま大学に行ってたかもしれないし、もっと言えば静岡にも行かず、ずっと愛知県で暮していた可能もある。
人との関係も大きく変わっていた可能性だってあるよな。
高校時代とか自分がいろいろな意味で残念な人間だった印象しかない。
で、そこまで考えた後に、
「でも今ここにいるのは、それを選ばなかった僕なんだよなぁ」と思う。
別に悲観してるわけじゃなくて、ただ、一つ物を落とすみたいにふと出る言葉がそれなだけ。
そこまで深い意味は無い。
結局、今までの自分の行動に僕は責任を持ってる。
後悔はしてるけども…(笑)
Happy and Heartless Worldで話した、「みんなが報われて苦しまない世界」。そんな世界がもしあったらとても幸せだと思う。
成長した瞬間を否定するのといっしょだから僕は嫌だって思ってそれは違うんじゃないかといった。
でも、自分のいる世界がSo Happy Worldだったらそもそもそんなことすら気づかないんだろうなぁ。
別に悪いものじゃないとは思うのに、それで救われる人だって確実にいるはずなのに、なのにどうしても受け入れることが出来ないってこういうことなのかもしれない。
話は変わるが、来月は10月。
つまり僕の誕生日回も投稿する月です。
なので来月は2本投稿する予定なのでよろしくお願いします。
僕の視点/フィルタからの世界を映しているのだから、少なくともこの月刊コグマの中では僕はHeroである。
だからこそもっと自分らしさを混ぜた月刊を作り上げていきたい。
それでは、また来月もよろしくお願いします!
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