記事一覧
2022/06/11 理想と欲求のバランス
こうなりたいという『理想』と、こうしたいという『欲求』の区別が未だにあやふやだという自覚がある。この日記も一例で、日記を書いている人間に憧れているという『理想』と、文字で思考をアウトプットしたいという『欲求』のどちらが真の目的なのかわからない。
あるいはこの場合、二つは対立するものでなく、それとなく同居しているのかもしれない。
だとしても、その比率がどれぐらいかは把握しておいたほうがいいとは
2022/05/26[日記]
・創作意欲また湧いてきた
自分の書いた文、意外にちゃんとしてる。ギリ小説の体を成してる。まだまだな部分もめちゃめちゃ見つかるけど、それも楽しいのかもしれない。早くエタってた二次創作の続き書こう。
・エッセイ日記書いたけど上げるの忘れた
スクショまで取ったけど忘れた。日付変えてしれっと上げとこう。またエッセイ的な日記を再開したい気持ちがある。書きたいこともままある。時間だけがない。
・昼食に
2022/05/16[日記]
・時間なさすぎ
ただでさえ労の拘束時間が多すぎて自分の時間少ないのに、転職考え出してからさらに無くなってきた。
・考え事固定されすぎ
主に転職のこと、職場の人のこと、電車で聞く音楽のこと、休憩時間に読む本のことあたりで思考が堂々巡りしている。
なんか生活様式が固定されすぎてて思考まで固定されてる。抜け出せない袋小路感がとてもキツイ。
もっと余裕を持ちたいし、アンテナを伸ばしたいし、感受性
2022/04/28[日記]
・「特定の誰かと仲がいい」というのは往々にして面倒くさい
特に異性。周囲が本当に面倒くさい。仲良くなれてしまう自分もいけないのかもしれない。
これはあくまで感覚だけど、同性より異性の方が距離感が近付きやすい。逆に同性の方がほどよい距離感を築きやすい。これは一概にどっちが優れてるとかないと思うんだけど、世間はそう見てくれない。
・なんか親が遠いとこいくらしい
どこかは知らないけど遠いらしい。
2022/04/24[日記]
・日記とエッセイ
なんか文を書くのに肩肘張りすぎてる気がする。いつもいつも結論ありきというか「〇〇は〇〇したほうがいい話」みたいなnoteのタイトルみたいな内容を書こうとしてた。
段落を三つほどにわけ、使ってるアプリの縦書きプレビューでスクショ一枚分に収まるようにして、違和感のない構成で結論を書く。
いやまあ今更だし、前にも多分書いてるんだけど、これは全く日記ぽくない。
もっとこう、文量を
2022/04/21 「いつも客観的でいられる冷静な自分」や「自己分析に優れた自分」に酔ってる
「いつも客観的でいられる冷静な自分」や「自己分析に優れた自分」などへの思い込みというか、これらに酔ってるきらいがある。
例えば、自他の行動を多角的に評価してみたり、情抜きで他人の性格を推し量ってみたり、自分のストレスの貯まり具合と対処法を逐一確認してみたり。
逆にいうと、おおよその他人はこれが出来てないと高を括ってる。実際はそんなことないのに。
こういった自分を認識するたびに、その傲慢さに
2022/04/20 ストーカーの思い出
職場の先輩がストーカー被害にあって警察に相談したらしい。
母がストーカーに付き纏われ、結果として住居を転々とする羽目になった過去があるため、かなり同情してしまった。その時のことを少し思い出してみる。十年ほど前の話なので、現在はストーカー規制法の改正によって状況が変わってるかもしれない。
その日の学校終わりに家に帰ると、家の前の空き地にパトカーが二台泊まっていた。玄関の近くには警察の人がいて
2022/04/15 足掻いても変わらないなら、足掻いてもいい
人間の本質は変わらないという考えが根底にあって、だからこそ今のダメな自分が長続きするものだと思っていた。その考え自体は今も変わらない。人間の本質は一本の幹のようなもので、葉や枝と違って生え変わるものではないし、年輪を重ねたからといって中心は変わらない。と思っている。
しかし、変わらないのであれば。変わらないのであれば、いま現状の自分が未来でどうなっていようがいいんじゃないか? いくら変わって
2022/04/13 意思表示の脆弱さと、我の強さへの憧れ
他人にこれを言ってもしょうがない、と意思表示を辞めてしまうことが多々ある。
自分が言うことじゃないという慎みであったり、言っても変わらないだろという諦めだったり。
実際、言葉を尽くしたところでこちらの真意が伝わる保証はまるでないし、それどころか尽くせば尽くした分だけ語弊も誤解も生まれやすくなる。そこから生まれる人間関係のゴタゴタが面倒くさくて、相互理解の機会を自ら手放すことになるんだろう。
2022/04/12 お久しぶりです
久し振りに日記を書こうと思い立った。約4ヶ月ぶり。
どうせ再開するのなら変化をつけようと思い、口語調で書いているけれど、いかんせん慣れないものだから、ぎこちなさが目立つ。気がする。書いてけば馴染むものなのかな。
日記を書くのは12月ぶり。まあまあ色々あった。具体的に言うと仕事と家の変化。
早いもので今の仕事を初めてから3ヶ月半ほど経つ。友達の家に居候してダラダラとニートしてた頃とどっちが幸
12/23 少し気張ってみたいんです
他人のエッセイを読み漁ることはあまり無いのですが、唯一必ず読んでいる人がいます。
その人はなんというか、「事象の言語化」が優れていて、普段自分たちに訪れる出来事や不快感なんかを綺麗に言語化してくれます。
よく「これあるあるだよね」となる事象を一歩先取りして、それの正体や類似性まで突き止めてしまう。日常から発生する好奇心を満たしてくれる。
こうなりたいなと常に感じています。
これを見なき
12/22 今日もいつもの睡眠不足
眠いのに寝れない日が続いています。体も疲れていて眠くて眠くて仕方ないのになぜか目だけ冴えて寝付けない。
どうにかしようと思ってもどうにもなりません。
今日ははやく寝れるでしょうか。ただそれだけが心配です。
追伸。クリスマスはそれなりに楽しく過ごしました。通話しながらコンビニのチキンとケーキ食べただけだけど。
12/21 承認欲求はモチベーション
承認欲求というとマイナスなイメージばかりがついて回りますが、これがないと何事もモチベーションを保てないんだなということに最近やっと気付きました。
人は誰しも、他人に自分を認めてほしいものです。何か頑張ってることがあるなら尚更。もちろん修行僧かのようにひたすら修練を積むことに興味があるなんて人は例外です。
例えば受験生は、受験生同士で勉強を教え合ったり模試で競い合ったりしますよね。あれだって
12/20 労働初め
世間では労働納めですが、むしろこっちは労働初めなんですよね。
明日もそれなりに早いのでもう寝ます。
年末年始もこんな感じなのかもしれません。ちょっとだけつらいかも。
カップ麺の蕎麦と雑につけたテレビでする投げやりな年越しが、それなりに好きなんです。
12/19 頻度と感動は反比例する
最近、本を読んでもあまりのめり込めません。
それもそのはずで、こと直近は本を読みすぎているんです。もちろん自分の尺度でですけど。
要は一回一回の感動やら衝撃やらその他諸々が薄まってしまっているということです。
これは何事においてもそうであり頻度と感動は反比例している、という持論をたった今思いつきました。だいたい合ってるんじゃないでしょうか。
この日記も、書き始めた時は自分の考えをどんどん