2022/04/15 足掻いても変わらないなら、足掻いてもいい

 人間の本質は変わらないという考えが根底にあって、だからこそ今のダメな自分が長続きするものだと思っていた。その考え自体は今も変わらない。人間の本質は一本の幹のようなもので、葉や枝と違って生え変わるものではないし、年輪を重ねたからといって中心は変わらない。と思っている。

 しかし、変わらないのであれば。変わらないのであれば、いま現状の自分が未来でどうなっていようがいいんじゃないか? いくら変わって見えようが、成長などというお為ごかしの言葉で隠そうが、結局本質が変わらないのであれば何でもいいじゃないか。
 どう足掻いても変わらないのであれば、じゃあ別に足掻いてみてもいいんじゃなかろうか。何をしようがどうせ変わらない、というのをポジティブに捉えてもいいんじゃなかろうか。
 結局、持論を盾にして変化を恐れているだけなんだと最近気づいた。
 でも、変化がないというのが持論なんだから、恐れる必要もない。 

 さしあたっての問題は「変わらない本質」とやらをどこに据えるか。一体どこの部分が変わらないのか。どう開き直れるのか。
 もっと昔から日記を付けておけばよかった。昔の自分の考えが十全には思い出せなくなってる。無力感を覚え始めた思春期は一体何を考えてたんだろう。
 みっともなくて、情けなくて、汚くて、内気で内向的で内省ばかりで。
 でも、そんな自分で在りたいと思う。自分の弱さを肯定できるところだけは、変わりたくない。

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