12/23 少し気張ってみたいんです

 他人のエッセイを読み漁ることはあまり無いのですが、唯一必ず読んでいる人がいます。
 その人はなんというか、「事象の言語化」が優れていて、普段自分たちに訪れる出来事や不快感なんかを綺麗に言語化してくれます。
 よく「これあるあるだよね」となる事象を一歩先取りして、それの正体や類似性まで突き止めてしまう。日常から発生する好奇心を満たしてくれる。
 こうなりたいなと常に感じています。

 これを見なきゃ人生損してる、といった物言いで何かを勧められるとむしろやる気を無くすのですが、このセリフに不快感を覚える心理についてエッセイを書かれていました。
 曰く、「好奇心という主体性の塊を持った状態であるはずなのに、他人から進む方向を指差しされる」ことに起因するそうです。これを読んだとき胃の腑に落ちる感覚が生まれました。ええ、それはもう見事にストンと。確かに、たしかに自分が感じていた不快感もそうだった。

 だけれども、納得しきってはいけないという警鐘が自分の中で鳴り止みません。
 他者の言葉は確かに自分に足りない穴を埋めてくれるものですが、全ての言語化を仮託してしまうのならばそれはもう依存です。
 それこそ他人の差した指に追従するだけの行い。なぜやるかと問われればそれは楽だから。
 楽な方に逃げるのが悪いことではないけれど、せっかくだから少し気張ってみたいんです。

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