2022/04/21 「いつも客観的でいられる冷静な自分」や「自己分析に優れた自分」に酔ってる

 「いつも客観的でいられる冷静な自分」や「自己分析に優れた自分」などへの思い込みというか、これらに酔ってるきらいがある。
 例えば、自他の行動を多角的に評価してみたり、情抜きで他人の性格を推し量ってみたり、自分のストレスの貯まり具合と対処法を逐一確認してみたり。
 逆にいうと、おおよその他人はこれが出来てないと高を括ってる。実際はそんなことないのに。
 こういった自分を認識するたびに、その傲慢さにほとほと嫌気がさす。と同時に、その傲慢がなければ人生もっと辛かったろうなとも思う。
 言うなればこれは、理想とする人間像のトレースであり一種の自己実現なんだろう。

 懐が深い、心が広い、度量が大きい。こう称される人間は、なんというかカッコいい。
 清濁併せ呑む強さであったり、弱さを受け入れる包容力であったり。憧れるポイントをいろいろ挙げていけばキリがないけれど、結局のところ一つに集約される。
 それが自立。一言に自立と言っても、経済的・身体的・社会的・精神的と種類がある。正直、どれも別にどうだっていい。あえて言うなら思考的。思考が自立していればなんだっていい。ニートでも寝たきりでも疎まれ者でも依存症でもいい。

 自分の状態を把握して、明文化することが出来れば。そして自分を許せれば、きっと他人を許せるだろうと思う。いろんなものを、許容できるのだろうと思う。いつか、そうなりたい。

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