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【祇園祭】京都に祇園祭が生まれた理由と本当の目的

7月の京都。グーグルイメージでしか京都を知らない外国の方は、石畳の上で風に揺られる青もみじが、ひんやり涼し気で快適な古都とお思いだろう。実際の京都の気温は、そのイメージから感じる温度プラス15度、湿度はプラス50%といったところか。

「こんなところでよく暮らしてるな」というのが夏の(実は冬もだけど)京都を訪れた人の正直な感想であり、同時に暮らしている人間の驚きでもある。

高すぎる温度と湿度で食べ物はすぐに腐るし、いけた花は瞬く間に枯れる。熱帯並みの気候の中、冷蔵庫も冷房もなかった時代の人のことを思うと胸が痛む。日本で最も有名な祭りの一つ・祇園祭は、そのような場所で生まれた。

そこは風水だか何だかで選ばれた、四方を山に囲まれ東端に川の流れる湿地だった。首都を意味する「京」と呼ばれたその場所には、そんなコンディションにも関わらず人が集まった。

インフラの未熟な都市にキャパシティーを超えた人口が生活するとどうなるか。感染症が流行る。私たちはこの感染症の正体がウイルスによる媒介だと知っているから、密を避けたり手洗いうがいを徹底することで戦い、(たぶん)被害を最小限にとどめることができた。それでも知り合いが陽性だ、家族が入院した亡くなったと聞くと、あのころは恐かった。

これが中世の世界だとどうだろう。ある人が病に倒れその家族が倒れ、気づけば隣の人が倒れ町内の人が倒れて行き、しばらくすると両隣の町内で同じことが起こる。原因も対策も知る由もない彼らはこう思った。

「疫神が移動している」と。

その恐れは私たちが感じたものの比ではない。そして彼らができる唯一のことは、神に祈ることだけだった。だから神様をお神輿にのせて町中を回った。疫神になんとか京都から出て行ってもらうために。これが祇園祭の本当の目的である。

私は祇園祭が大好きだ。当然、神事や山鉾を支えられているたくさんの京都の人に感謝したい。同時に、たとえ本当の由来や目的を知らなかったとしても、やって来てくれるたくさんの人を歓迎したい。

鉾町の人や毎年お神輿を担いでいる人たちを知っているけれど、彼らの祇園祭にかける情熱は相当なものである。彼らの1年は、1月ではなく7月を中心にまわっている。何カ月も前から段取りのあれこれを考えて、くたびれ果てながら7月を乗り切って、足洗の席ではもう来年の祭りのことを考える。

私たちのような一般町人も、「暑いのにようやらはるなぁ」と言いながらしかし、店先に屋号を書いた「御神酒おみき」の札を自慢げに貼り、「知り合いんとこの」ちまきを飾る。

商店街で朝から晩まで流されるお囃子のBGM、食べ物屋さんの軒先で売られる、テイクアウトのビール、かき氷。「夏やなぁ」。どんなに高い温度よりも湿度よりも、京都を夏にする景色。そういう一人一人の祈りや楽しみが、京都の夏の景色を作っている。


アフターコロナの今、祇園祭はどうなっているのか。そんなことはこちらに。



執筆:西村良子
京都木屋町の花屋「西村花店」店主、華道家。1988年京都府生まれ。2010年関西大学卒業。
先斗町まちづくり協議会事務局兼まちづくりアドバイザー。
2017年に花店を開店し、現代の日本での花と四季の楽しみ方を発信し続けている。

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