#28 虎に翼〜コミュニティで生きるための作法
虎に翼。
新潟・三条編は
巷ではつまらなかったという人がけっこういるらしいが、
個人的には過去の記憶を肌感覚で思い出させるシリーズとして、
ヒリヒリしながらも楽しんでいた。
本当の意味で嫌な奴が登場しなかったから。
杉田兄弟(高橋克実さんと田口浩正さん)の立ち居振る舞いに象徴される馴れ合いと忖度。
ワシらがエエようにやっとくから、おなごのアンタは口は挟まんといてください…みたいな場面がたびたび。
東京からやって来て面食らう寅子。
ドラマはソフトに描いていたが、
他所者、それも女性となると
当時の風当たりは相当だったのではないかと思う。
それに加えて、良きにつけ悪しきにつけ、あからさまな拒否の態度は見せないが、地元の人間は、他所者に対し透明な壁を作っていたのではないかと想像してみる。
相容れない人に対する排他性。
なので、宴会の席に優未を伴って参加するとしたら、そこに行き着くまでの試行錯誤もあったと想像に難くない。
個人宅に集まって、酒を飲み麻雀にふけるまでのシーンは象徴的だ。
私の家でも何度かあった。
牌を掻き混ぜる音と煙草の匂い。
雪国は窓を開けたら即極寒
雪が吹き込むから換気なんてしない。
そもそも窓枠が凍っていて開かない。
今でこそ家庭用の空気清浄機があるけど
当時は存在しないから部屋の中は大惨事。
オーソドックスな
すべて距離を縮める、自分から歩み寄るための作法。
友情婚をした高瀬と小野が
主任書記官の深田に伴われて寅子のもとに結婚の報告に来る。(コミュニティの中で属する人の冠婚葬祭は親族でなくとも重要なイベント。)
コミュニティの中の序列に従って
序列の下の者は
報・連・相を欠かしてはならない。
ならないだけでなく
「ねばならぬ」だ。
自分を振り返ってみると
高校を卒業して家を出て進学することになった時
父方母方両方の実家に「挨拶」に行った。
盆暮も帰省する度に行った。
皆様のおかげで、このように元気にしております。学生生活を送っております。
という意味でのご挨拶。
ここをすっ飛ばすと
非常識だの
恩知らずだの
非難轟轟罵詈雑言の嵐になる。
さすがに表立って態度に現すことはしないが
本人や親のいないところで陰口の対象になる。
それは陰口の言い出しっぺの人が死ぬまで盆暮に続く。
そんな場に行かなければいいではないかと思うだろう。
行かなければ行かないで
その非礼が加算されるのだ。
本人と母親に。(注:なぜか父親は対象外)
私の場合は、
中学生の時に自営業を営む両親(実質母と従業員さんがまわしていた)が事業に失敗した。
父方実家に借金の肩代わりをしてもらっていたし、
その後巡り巡って、父は実兄の営む会社に入って働いていた。
母も結局実家の仕事を手伝って収入を得ていた。
そんな環境だったので、
私たち家族は両方の実家に頭が上がらない状態だった。
そのような負い目があるので、
母からは「とにかく粗相のないように」というオーラと圧をいつも感じた。
中学生にもなると
ここで私が生意気な態度や発言をしようものなら
母が親戚一同から非難轟轟罵詈雑言を浴びることになるというシステムがあることを理解して
私は「スンっ」を選択した。
もう面倒くさいのだ。
それなら数時間の「スンっ」なんて楽勝だ。
このシステム
男である父は言われない。
女である母が「育てた」ので、母親が全て被るシステム。
コミュニティで生きていくにあたり、
出来れば避けたい事案。
それを理解するほどの年齢にはなっていたので、スンっと従うことにしていた。
皆様あっての私……なので。
親は親
子は子
ではなく
「〇〇の家」として扱われるから、
家族の粗相は連帯責任なのだ。
親の粗相を子も被り
子の粗相は親子でdis。
また進学するにあたっても
首都圏住まいの親族へのご挨拶。
ここで引越しの手伝いをしていただいたり(断るなんてあり得ない。お手伝いしていただくの一択)
お餞別など頂いてしまうと、コミュニティの支部が完成される。
就職が決まった時(もちろん地元には戻らす)
母に言われた。
初めてのボーナスが出たら、
ウチ(父と母)にはいいから、
〇〇叔父さんと〇〇叔父さんの家にお中元とお歳暮は欠かさないように
その頃は
とにかく「コミュニティから離脱できるハイ」だったので、
その程度で済むならと、ほいほいと母の指示に従った。
それをすることで
コミュニティ内で
私が「気が利く子」という認定が為され、
母の評価が上がるというシステム。
加点がつくのだ。
それを5-6年ほど続けていた。
ある時、友だちにその話をした。
友だち(関東生まれ関東育ち)は
それはおかしい!
あなたが稼いだお金なんだから、
親の言うとおりにする必要はない!
…と力説。
聞けば、彼女も親との関係に苛まれ家を出たとのこと。
どちらかというと清楚系で
穏やかな印象だった彼女の言葉は響いたし、
自分もコミュニティの価値観に侵食されていたことに気づいた。
その年の冬のお歳暮を多少の罪悪感とともにやめてみた。
母には言わなかった。
お歳暮をやめたことで
母も私も
誰かに咎められることもなく
時は過ぎた。
以来、この件で誰からも何かを言われることはない。(なんなら、言いそうな人々は全員墓の中だ)
このことで気づいたのは
冠婚葬祭
進学
就職など
人生のトピックにおいて
その選択
その際の礼節を欠く
↓
最初の印象が悪いとレッテルが貼られる
親も「そういう子を育てた」とレッテルを貼られる
そのレッテルに乗っ取っていつまでも話のネタにされる
↓
新しいネタが投下されると
注目が移る
過去の対象から目新しい方に話のネタが移る
つまり、
消費されているだけなのだ。
消費期限を過ぎると
扱われることはない。
ただし、
新たなトピックを迎える際には要注意。
人の人生も話のネタに消費するコミュニティ。
そこには何も生まれない。
ただレッテルを貼られ
消費されていく。
生きていくには
作法がある。
コミュニティの作法に従わないと
有形無形のハラスメントと共に生きていかねばならないのだ。
虎に翼に戻ると
高瀬と小野は
コミュニティの中で消費されることと距離を置くための友情婚だったのだと思う。
コミュニティの中で生きていく上での選択肢、対策としての友情婚。
花岡が
寅子以外の女性を結婚相手に選んだのは
結婚相手に求める条件として
花岡の属するコミュニティの作法を踏襲できるかが重要項目だったのではないだろうか。(寅ちゃんは、すぐ「はて?」と言いそうだし笑)
私の場合は
自分の人生に親戚を増やさないという選択肢・対策を取った。
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