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後世消えそうな言葉No.2に「同性カップル」が選ばれました

ぼくは後世に残りそうにない言葉をnote上で編纂することを趣味としております。ヘッダ画像をお借りしています。

先に弁明すると、同性カップルの否定文ではありません。「同性カップル」という単語は異性愛をスタンダードとする層からした一方的に都合のいい表現であるという結論が言いたい。

一回目

一回目(まだたった一度しか書いていないものを趣味と呼んでしまっている)は「コ○ナ太り」でした。

上記リンクではなぜ消えそうな言葉をわざわざ編纂するのか?についても話しています。むしろそっちに行をかけすぎて、なぜコ○ナ太りを消えそうな単語にノミネートしたのかについての説明が疎かになってしまっている。この場で簡単にいえば、デスクワークばかりで運動しなきゃ死ぬ(死因となりやすいことがわかった)んだから、

生命体であれば死は受け容れたいわけがないため、畢竟太る人もいなくなるだろうという考えに拠るものです。

手っ取り早い座りっぱなしに効く筋トレを調べてリモートワーク関係のマガジンに入れておいた気がするため、気になるのであればそちらを……(マガジンは機能として便利な気がするため使っており、現時点では有料じゃなければ今のところ当該マガジンを将来的にも有料にするつもりはありません)

同性カップルとは

まずぼくはLGBTQのいずれにも属していなく、彼女/彼らについて真剣に考えたことがあまりなく、彼女/彼らに先入観や偏見をできるだけ持たないようにしているという下地があります。

ただ、上記からもわかるように決してぼくは彼女/彼らの理解者ともなれないでしょう。真剣に考えたことがあまりないのだから。

性別とはいつの間にか与えられていて、そこにいるものだと思います。だから産まれた瞬間に病室で股間を見られ、男女どちらかに○が速攻でつけられる人間社会との相性は限りなく悪いといえる。

だって股間の状態がどうであれ、物心がつかないと「自覚している性別」など出産した人には愚か自分にすらわからないのだから。

そう考えると「同性カップル」という単語を当たり前に用いる人間側にも言い分はあるのでしょう。だって最初に性別わかるじゃん!その赤ちゃんは一生その性別だと思うじゃん!と。

でも実際は必ずしも股間の所有物が示した性別が絶対に展開されるとは限らない。そして多分いまはそれ(股間が示す性別が絶対とは限らない論)がニューノーマルになっている。

とはいえ、現段階では生まれた産婦人科の記録やら出生届?やらに記載された性別が同じ人同士が愛し合うと「同性カップル」と一緒くたに呼ばれてしまう。本人たちにとっては同性のつもりがなかったとしても、だ。

同性カップルの気持ちはどうなのか

「同性カップル」と一方的に呼ばれる人々の気持ちはどうなるでしょう?

非ニューノーマル(前時代的)な届け出に従って、非ニューノーマルな生物学的に男に分類された人が思春期に女の性別を自覚して、同様に非ニューノーマルに男と分類された同級生を好きになったらどうなりますか。

当該物語を知ったぼくたちは彼女/彼らを一方的に同性カップルと呼ぶことはためらわれるのではないでしょうか?前者は女の人で、後者は男だといえる。細かいことをいえば、後者の男が自覚している性別を明記しておらず、性愛の対象がどちらの性別なのかも記載していないため情報不足ではあります。

また他にも、非ニューノーマルに男に分類されたけど性愛の対象が男である場合はどうなるでしょう。その人が非ニューノーマルな性愛対象の男の人と結ばれたら彼らを同性カップルと呼んでもいい?

こちらが非ニューノーマルに女と分類された側にも適用されるため、あと2種類……どころか、被性愛対象の側の気持ちを考えるとさらに2倍、つまり計8種ぐらいの愛の形、性別の形がそこにあるように思える。

だから同性カップルという単語で彼女/彼らを一方的に呼んでしまうのはあまりにも乱暴なのではないだろうか?8種ぐらいの「性別が織り成す愛の形」を全部ひと括りにしてしまっている。少なくとも文学的ではなさすぎる。

ひとえに性別を管理する人々が非ニューノーマルな性別の分類にのみ基づいて生活をやっているからにほかならず、その2種だけにしちゃえば行政的手続きが全部楽だからでしょうね。

つまり、ニューノーマルな性別の人々、LGBTQな人々は、そうでない人々の乱暴な決まり事に合わせてあげてるという社会図式が現在あるわけです。

こんな言葉を後世に残して良いのだろうか?としてしまうとちょっと「消えそうな言葉グランプリ」の趣旨と離れてしまう。なぜならぼくは別に何らかの正義のために言葉を消そうとしてその言葉をノミネートしているわけではないためです。

性別の多様性が当たり前な世の中なのに、性別2種類だけで表記するのはよりめんどくさいだろうから、いずれ消えるんじゃないか、ぐらいが本来の当noteの落とし所です。例えばちまたのアンケの性別欄とかも、これまでの常識とされる2種と「その他」「それ以外」「非公開」ぐらいしかないですよね。つまり最初に発見された2種があり、あとはそれ以外とされている。そんなんでマーケティングのためのビッグデータとして機能するのかどうかは甚だ疑問ですね。

お読みくださりありがとうございました。

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