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サプライズハラスメント規制法案を作れ

サプライズが人間関係を豊かにするという健全かつ体育会系的な考え方は果たしてダイバーシティに必要なのでしょうか。ヘッダ画像をお借りしています。

サプライズとは、特に記念日や特別な日に「期待」されるものです。

ぼくはこれを「サプライズハラスメント(サプハラ)」として、人間関係における暗黙の圧力と断じたい。

これ系の圧力は、相手に対する無言の要求として機能し、特定の行動を強制する。そして暗黙のルールとは「文化」になってしまう。そうなる前に法律で根絶しなくては。「人様にサプライズを要求し、またそのような雰囲気を作り出すことは悪である」と。

友人関係や恋人関係の自然な流れとは、このような一方側からの一方的な圧力でのみ形成されなければならないのでしょうか?プレゼントの期待なんて、金の動きだけを抽出すれば乞食行為と何ら変わりない。

カスタマーハラスメント(カスハラ)の議論が示すように、期待と現実にはギャップがある。

片方の一方的な言い分はここでも不満や不公平感を生み出す原因となる。

カスハラが指摘される社会では、企業側が増長する可能性がある。あ、それカスハラなんで聞く耳持たないっすね。あ、それカスハラなんで本来検品で捨てられる商品だけどお前が金だして買ったんだろうけどお前が食え、と。

企業が増長するのはカスハラという単語を「大義名分」にするから。

大義名分とは脳死で何かを殺していいよ、を意味します。マスク警察、深夜営業の店に対し、先公に告げ口するかのような浅はかさで気が狂った張り紙をする、今だとカス系YouTuberもそうですか。

企業は顧客という金づるを最早金鉱脈として扱い始めるおそれがある。「企業様」のご誕生だ。企業様に逆らったらどんな不当なことを言われるかわからねえから、結果消費が冷える。企業様はカスハラという大義名分を濫用することで、自分で自分の首を締めている。たぶん、近い将来的に

カスハラの問題提起が示すように、企業側の増長が懸念され、顧客側が不当な扱いを受ける可能性があるなら、次に起こるのは簡単に想像できる。

「カスタマーハラスメントハラスメント」です。

斯くして対抗が起こり、企業と個人間では対立を深める。ただでさえ人間がカテゴライズされることにアヘ顔で喜ぶ意味不明な時代なのに、つまりは余計に分断を促進することになる。

同様に、サプハラを提唱することで友人関係や恋人関係における期待と失望をハラスメントとして捉え直すことは、対等であり、共にいたいと思える関係を真の人間関係として目指す意味を持つ。

真の人間関係は、利害関係や暗黙のルールに縛られず、対等であり、別になにがあるわけじゃないのに心が勝手に共にいたいと思える関係性に基づくべきです。

サプライズや記念日のプレゼントが、関係性の価値を決定づけるものではない。

「予告なき善意」などに頼らず、日々の小さな思いやりや理解が、より深い絆を築く基盤となるべきだ。このように、サプライズを一方的に期待する文化は、本質的に人間関係を表面的なものにし、その深みや真の価値を見落とすことにつながるのではないでしょうか。

で、ここまで書いてきたことは嘘です。ここらへんでやめねえと増長するよ、は本当です。あとセクハラとパワハラは今まで通り取り締まってOK。

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