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ジェンダー寒冷地仕様

ヘッダ画像をお借りしています。残念ながら、ジェンダーがやばいからなんとかしろ然とした文でもなければジェンダーに逆らおうぜ的などちらでもない。また残念ながらぼくは、この字を書くことでなんらかの運動に巻き込まれる気も巻き込む気もなく生きている。今回もまさにこの思想の延長上で書かれている。自由に否定も批評もしてくれればいい(なんと言ったって、ぼく含めすべての生命体にはそのような自由が保証されてしまっているのだ)が、本当に残念だがぼくには関係がないし返答もできない。


おジェンの現実

ぼくの周りの「参考にすべきでない部分がある者たち」の「参考にすべきでない部分」を見ていると、たぶん現代で叫ばれているジェンダーギャップを埋めようとしても全く上手く行かないんだろうな、ということが推察される。

たぶん博士課程の女の人とかはがんがん差別(迫的な害と言ったほうが良いんだろうけど)され続けている。そのへんを引用するとむなくそにしかならないので勝手に調べてくれ。

参考にすべきでない然とした人々に言わせると、主体性を出そうとすると叩きたくなる。もうそのへんは男に任せておけ、と。女はそのような動き方をする想定で世の中はできていないんだからと暗黙の了解的に押し付けて来る感じといえばいいだろうか。つまり女の人が主体性を帯びた状態になるとジェンダー強化と捉え、社会から取り除こうとする自浄作用みたいなのが働き始める。別にぼくが異性が異性を取り除く行為を自浄と思ってるわけじゃないですよ。たとえだ。

当人は押し付けてるつもりはまったくなく、世の中のことわりに妄信的に脳死で従っているだけっぽい。だってそれが当然のことだから。それで効率とか便利とかが担保されていると捉えているから。押し付けられた側は押し付けられた、迫的な害をされたように思う。

別にぼくはこの対策をどうしろとか、どうしなきゃいけないとか言うつもりではない。これらを変えるのは無理だろう。少なくともすぐにはだ。よく新人の扱いについて「行動力だけあるカス」みたいな物言いを上の世代がよくするが(もちろん、ぼくは行動力だけはないのでぼくが言われたわけではない)、それを主体性のある女の人にも適用しているように見える(これももちろんぼくがそう捉えてるんじゃなくて、彼らの評価姿勢みたいなものを総合的に集計した結果そう見える)。

なのでぼくはこれ系の問題を解決に導こうともできなければ提言もない。だが、そのような状態に陥っている一定の生き物の集団が今後どうなるかの想像ぐらいは良くも悪くもできる。だから想像しよう。明るくはないだろうが結論のようなものが導き出せるのであれば導こう。

社会の矛盾とジェンダー

世の中には、いわゆる「暗黙のルール」が存在する。特にジェンダーに関してはそのルールが深く根付いている。男たちが「当然」として受け入れている価値観や行動様式は、女たちには無意識の圧力として働いている。これは、職場や家庭、学校などあらゆる場面で見られる。女の人がリーダーシップを発揮すると、その瞬間に違和感を覚える人々が多い。この違和感は、深く根付いたジェンダーバイアスから来ているのだろう。

こうした状況は、特にキャリアの面で顕著だ。博士課程に進む女の人が増えてきたとはいえ、その後のキャリアでの成功はまだまだ難しい。差別的な行為や発言は少なくなってきたとはいえ、依然として存在している。これにより、多くのちゃんとした女の人がキャリアを諦めざるを得ない状況に追い込まれている。

例えば、ある女の研究者が新しいプロジェクトを提案したとしよう。その提案が男性の同僚によって支持されることは稀だ。たとえ提案が採用されても、プロジェクトの進行中に彼女の意見が軽視されることが多い。これは、女の人がリーダーシップを発揮すると、その能力や知識が正当に評価されないことを示している。

明日は「主体性と社会の反応」について話す。

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