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水になって壊れた兄弟が床で僕をあざわらっている

という歌詞を思いついたんですが選ばなかった。ヘッダ画像をお借りしています。全く関係ないんですが

今日ほんとうは「人を不幸にする・傷つけるためだけにある広告でGAFAは金を貪り食っている」みたいな字を書こうと思ったんですが、なにか創造性のある行為に触れた結果そのような気持ちになるのは明日でいいやと思い直した。

ぼくは一度造った歌詞を書き換えなければなりませんでした。なぜ歌詞を書き換えるのか?一度造った歌詞を書き直すのはそれなりの重労働……といいますか頭を使う作業である。

なぜなら歌詞を創る作業それ自体がかなりの痛みを伴うからです。ぼくは歌とはメロディがすべてであり、歌詞などメロディを盛り上げるための「なにか」でしかないと常々言っている。歌詞程度の単語に引っかかって歌のメロディの素晴らしさがかき消えるようなことがあってはなりません。

だから歌詞がついていない歌に与える言葉とは、厳選作業なわけです。……今の今までぼくは「厳選」という価値観で歌詞を創る作業を思っていなかったが、このように何かしら出力しなければならない状況に追われることで思いついた。なるほど、、ぼくがしていたのは厳選だったのだ。

メロディとは神聖なので日本語ごときで(もちろん英語だろうが)けがしてはならない。だからまかり間違っても恋愛に関する言葉など降ろしてはならない。今ぼくは「降ろす」といったがこの厳選作業とはメロディに対して降臨してきていらっしゃる言葉を「あんたは違うよ」「お前の出番はまだだからあっちへいけ」みたいに相応しい言葉が当てはまるまで続けることなのでしょう。

世間にはこんなにメロディがいいのに歌詞のせいで二度と聴きたくない、という歌が山程あり悲しい。ぼくらは普段恋愛のことについてなんて微塵も話してはいないのに、なぜ歌に限っては恋愛のことばかり思わなければならないのだろうか。

あるいはぼくらは本当は本能に従って普段から遺伝子を後世に伝えるためだけにある恋愛について四六時中考えているのだが、それを開放させるとその遺伝子伝達行為すら永遠に未遂に終わってしまうレベルの国家的拘束を受け、その後の人生が保証されなくすらなるから抑圧されたまま頭の中では常に恋愛のことばかり考えているのだろうか。現世とはそこまで悲しい世界になってしまったのだろうか。ぼくはこのように仮想文字の中にしか生きていないからわからない。

正しい文字が決まるとメロディを生かす。スピッツの触って変わってという歌がありまして「恋人の縒れた笑顔が言葉より確実に俺を生かす」というニュアンスのことが歌われていますが、この生かすと同義な感じがする。本来メロディに添えられた山葵程度の存在だった日本語群が、そこにあるメロディがそのようなメロディであることに意味をもたせるといいますか……言葉がメロディの広告塔、そこに載った母音を口で奏でるためにこのメロディがあるんですよ的な意味合いを帯びてくる……気がする。

奇しくも例示したスピッツの歌詞は恋愛っぽくてアレなのですが……この前後では天神駅という実在の場所について珍しく情景描写をしているという下地があるので、恋愛について完・全・完璧に歌っているというわけでもないという言い訳をしたい。

これがまた歌うとなると変わってくるのが厄介だ。言わば「実際に歌うという行為」が発注者であり、上記のような作業をしているぼくはその受注者である。発注元の機嫌を損ねないような母音に当てはまる単語を天から探してきて(そんな天などぼくの頭の中にしかないのだが)納品する。

でもこれで完璧よと思って与えた、当てはめた言葉群が口に出すと言いづらかったりフレーズ詰め込みすぎて言い切れなかったりあまりにも足りなくてせっかくのメロディ様を持て余してしまうなんてことになりがちである。これは新聞のあのつめつめな文を創る作業と似ているのかも知れない。新聞の文とは、それが集まって一つのコーナーを最終的に長方形か正方形に文字で埋め尽くさねばならないように決まっている……ように読者からは見える。

空きを造ってはいけないのだ。こと新聞に限っては、紙はあのインクでけがし尽くさねばならないのだ。なんでそんな神経質に生きてるんだろう。ただでさえ、これまで世間に発表されていないことを報じるというクソめんどうな役割を引き受けているのに、紙面には空白を造ってはいけないみたいな制約まで設けて一体何の役に立つのだろう。新聞屋が転職してその技能をどんなことに活かせたのかを聞いてみたい。ぼくが今やっているこの技能が何に役立っているのかがわからないのだから。





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