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さわって・変わってを歌う尾丸ポルカ

ぼくはバーチャルYouTuberとジャンル分けされる方々のライブ配信を普段YouTubeで拝見することが多いです。

バーチャルYouTuberは人間が生活する現実世界には存在せず、何らかの方法で発見・接続された共通のプラットフォームを使って主に人間を楽しませるために彼女/彼らなりの表現をすることが多い。YouTuber、という名称にも現れている通り、プラットフォームのひとつとしてYouTubeが使われることも多いです。

いわゆる現代に必要なお家時間を大いに支えてくれている存在のひとつであると強く思っています。こういう時期であるため、それを見れば家から出る必要がない。

昨今は歌のコンサートとかをパーキング・エリアなんかで開催し、野外ステージの雰囲気を壊さずこれまで通り実施することも多いですね。

ライブ配信であれば場所を選ばず、配信者が音源や舞台装置なんかを用意してくれるだけで、受け手はその公演を見ていられます。

見る側も重厚というか大きな心構えを用いること無く気楽に見られることも相まって、YouTubeで生歌を演奏するライブストリーミングをおこなうかたも増えたのではないでしょうか。

エンターテインメントのあり方として、ニューノーマルを象徴する素晴らしい試みが各所で展開されていると思えます。

余談・ストリーム上の即席コンサートについて

それとは矛盾したことを述べますが、ぼくは生歌のライブストリーミングのようなものを好んで見ることはありません。歌が生であることは素晴らしいのですが、音源は有志の方が作られたものとなってしまい楽器の生演奏とは些か異なるものであるため。

またもちろん、有志の方に依る音源というものは所謂電子音で作られることが多く、そういったものはバックグラウンドで再生される簡易的なオケ(オーケストラ)として使われることが多い。

電子音で作られるため、寧ろそちらのほうが秋葉原を代表するようなピコピコサウンドと親和性があるため好きであるという向きも多そうに思います。個人の趣味であり、全く問題ないことと感じます。

ただ最近の電子音は非常に進化しているのでしょう。どちらかというと電子のそれを想起させるよりは実際の楽器に限りなく近づけた音質となるように設計されていて、聴く人の違和感を取り払ってくれるというケースもあるのではないでしょうか。代わりに、電子音ならではのピコピコは失われてしまうこともありそうではあります。

ぼくがこれまで積極的に好んで見た経験がある歌のライブステージは、何らかの機関を通して金銭を支払い、指定のプラットフォームを通じて閲覧できるバーチャルYouTuberのものが多かったです。それでも過去から現在に至るまで供給された数に対しては大した数を観たわけではありません。ただ、ぼくが観たものは金銭に応じた質の高さがあり、なるほどと納得した記憶があります。

またぼくが歌を中心として好きだと思うバーチャルYouTuberの方々の中には、上記のような即席・簡易的なコンサートをあまりしない人も多く、ぼくもそちらに引っ張られてそういったものを求めなくても生きていけるようになったのかも知れません。

否定しているわけではなく、筆者であるぼくはその内容について述べるつもりでありながらそういった文化にあまり明るいわけではないということを前置きし、お伝えしておきたかった。

歌配信自体はかなり人気があると思っています。ある程度の視聴者が確保できるジャンルのひとつなのではないでしょうか。

かなりの余談となりました。

バーチャルYouTuberの適性とは

尾丸ポルカさんというバーチャルYouTuberがいます。

バーチャルYouTuberを運営する企業に属し、バックアップを受けながらライブストリームをおこなうタイプのどちらかというとタレント気質のあるYouTuberと呼べるのかも知れません。

昨今ではあまりバーチャルYouTuberという単語が表沙汰にされることが影を潜め、バーチャルライバー・バーチャルタレントという言い方が用いられることも。

バーチャルYouTuberの始まりともいえるキズナアイさんがサンデー・ジャポンに出演したり、ダウンタウンDXに出ている様を見るに、タレントと呼んでさしあげるほうが今後芸能界からのバーチャルYouTuber起用がしやすいかも知れませんね。

バーチャルYouTuberには上記企業所属の方や個人運営されている方もいて十人十色ですが、タレント起用されるのはおそらく企業所属の方のほうが早そうに思います。単純にマネージメントや広報活動に割けるリソースが多いからという理由であり、バーチャルYouTuberというジャンルが積極的に開拓された暁には所属はあまり関係なくなると思っています。こちらも少し余談となりました。

公式の説明に依ると、曲芸チームに属しているそうです。言ってしまえばタレント活動とは2足の草鞋となるでしょうか。その奇抜な見た目にも納得できますね。また、

時々出るボロは、持ち前の愛嬌でごまかす。

という説明が示すのはアドリブに強いということだと理解しています。歌う人にとって結構必要なスキルだとぼくは思っています。

歌詞が急に頭から抜け落ちたり、演奏中の1人の楽器が急に断線したりということはままあるため。またそれに伴い場をつなぐために急に喋らなければならなくなったりもします。

急に喋らなければならなくなるというのはもしかしたらYouTuber全体に言えることかも知れません。この点はその方の機転力の高さにも依存してしまいますが、備わっていないでさあ60分間(一般的なYouTubeライブストリーミングに充てられる時間)話しなさいといわれてそれが可能なのは、上記適性があるか、完全に台本を用意するかどうかということになってきそうです。ぼくはどちらも才能があり、素晴らしいと思います。

さわって・変わってを歌う尾丸ポルカ

好き放題書いていたら本題に入り切らずに2500字になってしまったのですが、尾丸さんは先日好き勝手に歌を歌う時間を取っていたそうです。

ライブのタイトルは歌で銀河が救えるわけないでしょというもの。マクロスの映画のポスターなんかで使われたフレーズであるそうですが、劇中の世界観を否定しかねないものであるように見て取れます。こちらを流用した本人的には、歌のコンサートをしたいというよりもなんとも刹那的な情感を表したいのだろうかというようにぼくには捉えられました。

その中で歌っていた歌が表題にもしたさわって・変わって。49分あたりから始まります。

日本のロックグループであるスピッツが2001年かそこらにリリースしたシングルだったと思います。他事項についてそれなりに調べてから書いているものの、年月を示すこの部分だけしっかり調べて書いていないのは、記憶と知識だけで書いた方がなにか知ったかぶり感が出せるだろうという魂胆です。

さわって・変わってはスピッツが1997-8年あたりからプロデューサの手を離れ、セルフプロデュースにより自分たちの持ち色に立ち返って歌を見つめ直した時期を経て、2000年ごろリリースした「隼」さらにシングルとしてかなりのギター・ドラムンベースサウンドが強調された「夢追い虫」につらなるシングルとして発売されたはずです。

公式チャンネルがPVを出してくれているため、聴けば上記の事が解っていただけるかと思います。

イントロを電子音で表現したかと思いきや、いきなりG Cm なんたらディミネンド なんたらフラットファイブ というスピッツでは滅多に鳴らされないコード進行が全楽器のGainをフルパワーで鳴らす形で弾かれている、当時ロック色が強かったスピッツの中でも特に重みのあるロックナンバーであると思います。

ギターの三輪テツヤは、ロック寄りのギタリストという立場でありながらアルペジオを得意としていた。本来アルペジオはアコースティック・ギターで用いられることが多い奏法です。禁じられた遊びとかを思い浮かべて下さればわかりやすいかも知れません。

スピッツの歌のイントロやメインメロディに沿う楽器を担当する者としてアルペジオを前面に出すのはどうなのかと自問自答した時期もあったようです。過去のインタビューではCrispyの前後でそういった葛藤があったと見聞したことがあった気がします。

ところが、ご存知のようにロビンソンがガッと売れた。ちょうど一年後に出たチェリーもかなり知名度が極まった。どちらもイントロはアルペジオです。その後、まだ二十代だったか既に三十代は過ぎていたかも知れませんがロック寄りではないポップめな感じの雑誌インタビューでは「僕は70歳とかになってもずっとロビンソンを引き続けているでしょう」とある種の開き直りすら見せたほど。もちろん若さも有り、多少おどけていたのでしょうが三輪の中でアルペジオは完全に克服出来たのだと思います。

そんな三輪テツヤがこの歌ではいわゆるギターの5弦と6弦あたりにピックを立てて、上からギュイイイイイイイイイと鳴らすやーつをマスターテイクでは弾いています。ステージなら草野と三輪で一緒にそれを再現してたこともあったはず。そこまでビジュアル的なロック色は他のロックグループのステージでもそうそう見ることはありません。それぐらいこの歌はR&Rに捧げられている。

そうした経緯を踏まえて、Aメロでは三輪テツヤのアルペジオが聴けることもファンの耳には心地よく響くことでしょう。

またベースの田村明浩はピックを用いずにベースの全てのフレットを使っているのではないかと思わされるレベルに動き回る、非常に芸術的なベーシストなのですがこの歌での動き方も凄まじい。より激しさと言うかビート感を前面に押し出す際は田村もピックを使ってルート音(コード進行に適した単音を出し続けること)を弾くこともあるのですが(ex.けもの道)、田村なりのとんでもない動き方でこの歌の疾走感を表現しています。

メンバーの持ち味を損なわずにロックに回帰している。崎山龍男のドラミングはラウドネスカバーの原点をそのままに、陰と陽をはっきりと明示しながら歌を支えています。この歌の緩急をほぼ崎山が支えているといっても良いのではないでしょうか。このお陰でグランジをすら思わせる緩急の歌として仕上がっています。2番のAメロなんかは草野の声と電子音のみでしか構成されておらず、フレーズを歌い切ると崎山のスネアが追いかけて来、すぐに全楽器がフルゲインとなるコーラスに突入します。

その緩急たるや同時期の邦楽で言えば新進気鋭のART-SCHOOLがリリースしたDIVAあたりと比較しても色褪せない。どちらも良い歌であることは間違いありません。

ロビンソンやチェリーのポップなグループ(前述のようにプロデューサによる影響も含まれていたはず)であるというイメージを持たれてもおかしくないグループですが、もともとブルーハーツやエレファントカシマシを見て、その時代のライブシーンに連なるように参加したグループです。上記隼の主要トラックに「放浪カモメはどこまでも」という歌がありますが、仮タイトルはギターロックNo.1というものでした。

さわって・変わってが収録されたCDに至っては「三日月ロック」。とうとう自分の属すジャンルを題名で説明してしまった。

単語そのものを言わずに、ホットケーキペーストのように歌の中で言葉として引き伸ばして引き伸ばして表現することで草野の世界観へ世間の老若男女を惚れ込ませた生き様をしていたなかで、これほど素直に表現された題名も珍しいと思います。

それほどギター・ベース・ドラム・歌という自分たちの武器の原点に立ち返った時期であった。

この歌がバーチャルYouTuberというジャンルの中で歌われることにぼくは驚いたのでした。

ロビンソンやチェリーを歌われるバーチャルYouTuberの方々の才能も素晴らしいとぼくは思っています。

象徴について

また普段、ぼくは歌の歌詞について全く興味を持たないのですが、草野の歌詞は意味がなさすぎて、あるいはファン目線からすれば意味が掴みきれず深いとされており、トータルでいうと歌を聴いている際に気分を阻害されずに聴けるという特徴があります。

過去のインタビューでは死とセックスについてが基本的なテーマとなっているというような示唆をしたようですが、全部が全部そうとは限りませんし、また作っていく中でテーマのようなものは足かせにしかならないため、都度変わっていくものだと思います。

この歌の冒頭では、珍しく現実の地名が登場します。

天神駅の改札口で きみのよれた笑顔

というもの。

地名が出てくる歌というのはそれだけで歌の本やカラオケでも特集されるほど、聴く人によっては思い入れを強める成分のひとつであることも事実のようです。

デジタルツインやミラーワールドのような世界でもあるとされているVRでは、限りなく日本に似たような場所があるとも言われており、天神駅の改札あるいはそういった大衆が集うステーション・エリアになにか思う処があり、尾丸さんにとって大切な歌となったのかも知れません。もちろんぼくは特にそれを説明して欲しいとは思っていません。ただ現実に存在しないバーチャルYouTuberから現実の地名を歌われると、何らかの一体感が得られるようにも思います。

草野の故郷でもある福岡は、歌や歌を作る才能に溢れた人々の出身地としてもぼくの中で特筆すべき場所だと思っています。

若い頃からそういった夢を描いて、東京なんかに上京するのであれば天神駅はその先に行くための扉そのものであり、懐かしい場所でもあります。

各情報サイトによると、1日の乗降数は130000~150000人ともなるとのこと。九州のかたにとって、主要駅という共通語足り得るのでしょう。単純にこの歌に縁がありそうなバーチャルタレントとして天神子兎音さんが思い浮かびますが、彼女は神様であるためまた話が違ってきそうですという本格的な余談です。

またコーラスの最後のワンフレーズである、優しい風 2人を包め という部分の歌い方がよく解っていないようでしたが、意味不明な歌詞が魅力な草野の歌の中でも珍しくどストレートな意味を持っているため、気恥ずかしかったのかも知れません。もちろんガチで音程を忘れていたのかも知れません。どちらでも良いと思います。

ただ尾丸さんにとって別に古い歌を知っているアピールがしたくて歌ったわけでは絶対ないとぼくには思えました。もちろんそんなアピールをする必要はないし、上記のように本当にリスナーも自分も安らぐための時間としてこのライブストリームを作ったのでしょう。

根拠は以下です。歌のコーラス部分が2回繰り返され、恐ろしく盛り上がったところでこの歌は終わるのですが、その終わり間際に再度Aメロである

言葉より確実に俺を生かす

というフレーズが登場します。ファッションでこの歌が好きと述べる程度なら、この部分なんて歌い忘れてしまうことでしょう。尾丸さんはきちんと最後まで歌い切りました。

草野の歌は音域が上方に高いため、女の方が歌うのも似合うと思います。勢いがあり各楽器の主張が大いに活かされるこの歌が唄われて救われる世界もあるいはあるでしょう。

後記

尾丸さんが歌っていたのは音源がある歌だけでも数十以上、歌いたくて音源なしで歌った歌も20数以上はあったようでした。したがいまして、さわって・変わってだけをここまでピックアップするほうが少し異質、偏執的であるかも知れません。

ぼくが単純にこの歌が好きなんですね。シングルとはいえ、まさかバーチャルYouTuberのジャンルでこの歌のフリー音源を探し(フリー音源があることも意外ではあります)、わざわざ歌おうとする人がいるということを自分の中で腑に落としておきたかったのだと思います。

絶対文量を多くすまいと思っていたのですが、6500字になってしまいました。お読みくださり有難うございました。

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