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不安なこともやってみると案外そうでもない、と気づく

不安や恐怖を感じやすかったり、些細な事が気になり思い悩んでしまったりする事が多々ある。その感情の最中にいるときは一大事だ。

不安だったり心配事に押しつぶされ、想像しているだけなのに感情移入して涙が溢れたりする。どうしよう、こんなのではできないかも・・・なんて本気で悩んでしまったり。
でも、その出来事の大半のことは、過ぎてみると、「そうでもなかった」ということも多い。

思ったよりすんなり進んだ。
どうってことはなかった。
あれ?平気だったじゃん。
その場面に出会うと、わたしって実はちょっと強くなったのかも、と少しほっとする。
泣かずにいれた自分、その心配事が起こらずに胸をなで下ろしている自分。
そんな自分を人生の中で、幾度となく見てきたはずだ。
些細なこと、感情は長くは持たないので、すぐに忘れてしまうことも多いけれども、その成長を感じるとか喜び、安心を感じる、瞬間というのは、たくさんあったはずだと思う。忘れているだけで。

先日、そんな思いを体験した。
心配事あって、自分が平気でいられる自信がなくて、前の夜に想像して涙してしまっていたりしたのだけれども(笑)実際にその状況になってみたら、想像とは違うことになった。
夏休みに帰省したときのこと。
今年は色々あって、母に心配をかけてしまったという思いから、その罪悪感に負け、母に会ったら泣き出してしまいそうな自分を想像していたのだけれども。
実家の最寄駅に降り立って、すぐわかるところに母が待っていてくれた。
久しぶりの再会。
溢れそうだと思っていた罪悪感や心配事は、涙にはならなかった。
懐かしい感情と、ああ、母だなぁと。
無人駅の待合室から出て、ホームが見えるところで立っていた。
少し心配そうにこちらをみている母だった。
心配そうに見えたのは、雨の降りそうなお天気だったからかな。
(やばい、思い返してこうして書いている今の方が泣けてくるw)
ありがたかった。
普通に、いつもの感じが。
安堵を覚え、嬉しさの方が優ったみたいだった。
久しぶりの再会は、涙に暮れなくてすんだ。
笑顔でいられる事がほっこり和ませてくれる。

自分で自分の様子を見る、というか、自分がそう思っていること、感じていることにちゃんと”気づく”というのは、大切なことだと思う。
何気なく過ぎてしまう時間の中で、自分の感情の移り変わりを知る。
悲しいのか嬉しいのか、その原因は何なのか。自分か誰かか。

自分の感情のその先の感情を思い込んでしまっていることだってあるのだと気づく。
結果、思い描いていた情景とは違って、涙は溢れずにすんだ。
みられたくもなかったし、そんな感情を晒したくなかったので、よかったよかった。

後になって、思い返してみて、あれはなんだったのか?
と自分でも拍子抜けするほど、思い込んでいる時だってあるのだ。
過ぎてしまったから言えることかもしれないけれど。

詳細は覚えてはいないけれども、そう思う瞬間は、これまでにも何度もあったのだろう。

大丈夫じゃないと思っていてもなんとかなってきたことは、確かにある。
その経験の積み重ねで、救われてきたこともある。
自分の作り出した想像に思い悩んでしまって、その思考から抜けられなくなってしまっても、それがどんなに絶対だ、と思うことであっても、
”そうじゃない”現実だってある。
その渦中にいるときは、その思いに支配されて、抜け出せない時もあるかもしれないけれども、
そうでもない時もある、と知る事、知っていることは、大きな力になりそうだ。
全知全能の神ではないから、頭で思い描いた事が、全部そうなるとは限らない。
絶対にそうなると思い込んでいたって、そうならない時もある。
自分の想像したようになる時もならない時も、それは50%50%
どっちの結果もあり得るのだ。

ならば、やってみなければわからない。
そういうことだなと、改めて思う。

心配事もそうだし、人間関係とかも。
絶対こうなる!と思い込んでいるけれども、そうならないことも結構ある。こうあってほしいとの期待が裏切られるように、反対に、いい方向に裏切られる時だってある。
少しの希望でも、進んでみる価値はあるのかと。
諦めそうな思いも、実際に行動を起こしたら、想像とは違う結果が得られるこのもあるだ。
わたしはすぐに何かあると関係を切りたくなったり、逃げたくなったり、やめてしまいたくなってしまうけれども、

「そうでもないこともある」

と知ること。その都度思い出して、一歩進んでみること。

そうすれば、また違った感情を得られるのかもしれない未来もある。
なぜだか思い返して、少し優しい気持ちになれることもある。
思い込みを緩めて、なるようになると心に任せてしまってもいい。
自分だけが全部を決めるのではなくて、感じる感情というものがある。
頭の中の言葉だけが全てではなくて、意図しない感情だってそこに存在するはずだ。
それは、なってみなければわからないけれども、想定外のことだって、何度だって起こるのだ。

***

ふいに思い出した感情につられて、書いてみたけれども。
日常のちょっとしたことは、問題解決の糸口になる。あの経験が、形を変えて別のことに役に立つ。
他の問題も深刻になり過ぎず、風の吹くまま、吹かれてみようかという気にもなる。

自分だけがそう思っていることもある。
ふぅっと一息、ゆるりといきましょうか^^
そんなこともあるのだから、、、

今日は、アイスティーに冷凍ブルーベリーをいれたブルーベリティーを飲みながら、ほっこりと考えてみました。

ではまた。


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