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優しい雨の時間は自分を見つめる癒しタイム

お天気が晴れると、心が上向きになる。
けれども、優しい雨の時間にも安らぎがある。

頭痛のない雨は好きだ。しとしとから、ザーザーと昨日の雨はめまぐるしく過ぎていった。何にもしない時間をただただ感じて。

緊急速報はちょっとびっくりしたけれども、一定の気圧に止まってくれたようで頭痛もなく、穏やかな日だった。

こんな時間があると、ふと、大切な人たちのことを思い出す。
大丈夫かなと心配したり、いまはどんなことに関心があるのだろうとか。

空想だったり、妄想だったり、何にもしない時間でも頭の中は忙しくて
あっという間に日が沈んで、また明日を迎えようとする。

そんな日々の中に生きているのだと実感する。
あまり先のことを考えると、不安に襲われそうになるから、のんびり呑気に明日のごはんのことでも考えて(笑)

考えても仕方のないこともあるし、
というか、そもそも、まずは、自分のことを考えなさい、、
そんな声が聞こえてくる今日この頃。

不条理なことは、いくらでもある。納得できないこと、それじゃダメじゃん、とおもうこと。突き詰めてしまうと、心が持っていかれる。
自分のことではないのに、自分ではどうしようないことに思考を埋められて、怒ったり悲しんだりしてしまう。自分ではない、遠い”誰か”のことばかり考えてしまって。

だから、まずは、自分のことを考えよう。
ほんの小さなことから、ひとつずつ。
日々の生活を整え、心を整えられるようなこと。

日傘が古くなってきたから、買い換えようとか、
何があったら生活が嬉しくなるか、楽しくなるか。

恒久的な満足度や豊かさ、なんてものでなくて、
きっと目の前にある小さな喜びをたくさん集めるような、ちょっとしたこと。

四葉のクローバーを探すみたいに。
ささやかだけれども、自分がほっこり笑顔になれること。

そんなことを探したらいいんじゃないかなと思う。
これまで積み上げてきて、当たり前になっていたこと、でもそれって本当は当たり前じゃないかもしれない。

気づかないうちに我慢して、押さえ込んで、それが普通だとレッテルを貼って。
そうやって気づかないふりをしてきたのは自分だ。色んな理由があって、たくさんの経験から積み重なった結果だとしても、それって今の自分にとっては、必要なルールだろうか?
古いルールではなかろうか。昔の自分を保つため、作り上げたもの。

いま、そしてこれからの自分のルールは自分が決める。
”価値あるもの”
それを決めるのは、親でもパートナーでもなく、自分自身。
迷ったりもするけれども、最終的には、自分で決めていいのだ。
誰のものでもない、自分の人生だもの。

そう、ことあるごとに言い聞かせて、自分でいいんだ、という感覚をもっと持ちたいと思う。認めてあげたいと思う。
受け入れて迎えに行ってあげたいと思う、過去の自分も。

自分をすべて受け入れて、認めて、肯定している、、、
そうはっきりとは、まだ言えないけれども。

まだまだ旅の途中。
旅の途中って、実は一番楽しいよね(笑)

穏やかな雨がくれたひと時の安らぎの時間。
ふわふわしてちょっと不思議な心地いい時間に感謝を。



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