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作り手の想い、考え方、価値観

どんな作品を作っていようとも、感じるものがある。
職人は職人であると。

作るモノは違っていても、どこか根本は同じ心を持っていて、相通じるものがある気がして、そんなコトやモノに触れるととても嬉しい。

先日、焼き物の職人さんに会う機会があった。皆さん、穏やかで仕事に真摯に向き合い、沈黙に身を置きながらも、何か話しかけると優しく答えてくれる。

私も職人になりたい!と言えるほどの者ではないけど、職人さんの姿勢というか生き様というか、そういう心意気みたいなものには憧れがある。

もちろん、腹のなかでは何を考えているかなんて正確にわかるものではない。ただ、仕事に関しては心模様が出てしまうと思うから、いつも同じ精神を保って安定したものを作る、というのは並大抵のことではないとわかる。その上で細かな線を引いたり、筆の強弱を調整して完璧を目指す、ただ一心に。そんな姿は清々しくて潔くてとても素敵だと思う。

でもきっと、職人さんはそんなことは考えてもいないのだとも思う。周りのことや厄介ごとがあっても、仕事として真摯に取り組むこと、それしか考えていない、というか、勝手にそうなってしまうのかもしれない、とも思う。

価値観って、人によって違って、誰かから見れば、ずっと籠ってばかりで町からから出たこともなくて、、、。というような感想を持ってしまうかもしれないけど、私はそんなことはないと思う。これもまた価値観の違いに相違ないのだけれど、きっと、頭の中で広がっている世界はとっても広くて楽しいものだと思う。

物事に大きいも小さいもなくて、言ってしまえば、自分の価値観でそれを良しとするならば、外の世界なんていらないものだったりもする。

私もたまに、調子が良くて製作やデザインに没頭する時間が楽しくて時間を忘れてしまうときがある。町内放送で流れるチャイムの音や夕日の差し込みで時を感じて、その気分から離れたくなくて、山に籠りたいと思うときがある(笑)
時間も食事も他人の目も気にせず、製作に全てを傾けられたらなぁと。。モノを作る人ならそう没頭してしまう時間は少なからずあると思うけど、昼夜問わずやるとなると、そうできない自分もいて現世のしがらみから離れたいと頭をよぎってしまうことがあったりする。

話がそれてしまったけど、何が楽しいか、何に価値を見出すか、何が原動力となるかは、人それぞれだということ。いろんな人種の人がいて、いろんな考え方の人がいて、誰しも自分自身に納得できたのならどんな環境に身を置こうとも、それは幸せ、だと私は思っている。


みんな違って、みんないい。
(今更だけど身にしみる言葉。。)

みんな生きる場所は違うけど、役割とかやりたいことも違うけど、それでいいんだと、寛大な心で受け止められたらいいと思う。その上で、何か自分にできること、誰かのために貢献できること、喜んでもらうこと、そういうものを模索しながら、みんなで前へ進んでいけたらいいと思う。

同じ時代を生きる人間として、私にもできること、これからも探していきたい。
環境も精神も価値観も違うかもしれないけど、探究心は無くさずに歩んでいきたい。

ほんの一手間、使う誰かを思って茶碗の台座を研磨するその気持ち、とっても暖かくなる。些細なことだけど、忘れたくない日本人の心だと思う。たとえ、それが誰にも知られずにひっそりと行われている作業だとしても、作り手として最大限の成果を求めるなら必要な作業に違いないし、そこに手作りの温もりがある。

見えないものを見ようとする努力、繊細で丁寧なモノづくりの姿勢、自らと向き合いどこまでも学んでいく姿、忘れずにいたいと思う。

素敵な人々に出会えていろんな体験をしてみて、改めていい勉強になった。
私も作り手の一員として、作っているものは違っても、初心を忘れずこれからも真摯にモノづくりに取り組んでいきたいと心から思う。


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