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反射的に感情的な反応をする人について思うこと。

前回の記事の続きのような
補足のようなもの。
単体でも読めるとは思いますが
ちょっとわかりづらいかもしれません。



反射的に
感情的な反応をする人自身が
必ず悪いっていうわけじゃなくて

その人が
そこに至るまでにも
たくさんの理不尽や
苦痛があったと思います。

それで抑えられなく
なってしまって

自分が被害者だったのに
いつのまにか加害者にも
なってしまっていたり
するんだと思います。

もちろん それで
人を傷つけたのが
なかったことには
ならないし

自分に原因がなくても
責任はとらなくちゃいけないし
批判がくるのもあたりまえです。

だけど、でも。


その人たちが
一方的に責められる
のではなく

元々の原因の解消や
そこまでいかなくても

つらい気持ちや衝動を
解消できるようなものが
もっと増えればいいな
増やしたいな と思います。

加害者を罰しても罰しても
世の中から
加害はなくならない。

加害者は
加害したくてしている人
ばかりじゃなくて

気づいたら
加害をしてしまって
後悔している人も

苦しみぬいた末に
加害をしてしまった人も
多い。

そういう人が
許されるべきだとか
情状酌量の余地がある
だとかは思いません。

実際に被害者を
出したのだから
どんな事情があったとしても
加害は加害、罪は罪。

叱られたり
裁かれたりして
然るべきです。

(社会は個人の事情を汲みきれないのが当たり前で
   見方によっては悪くないと言える人でも
   例外なく責任と罪を負わなければならないので)

けれど、その一方で
そういう人たちが
これ以上苦しまないように

そして
新たに生まれないように

元々の抑圧や理不尽などの
苦しみが取り除かれることも
必要なんじゃないかなと
思うのです。

ひとつの物事における加害者
という末端だけではなく

それを生み出した関係者をたどって
その関係者の置かれた環境をたどって
その環境を作ったしくみをたどって……

そうして
もっとずっと根本の原因を
少しだけでも改善できたなら。

それによって
望まない加害をしてしまう人が
1人でも減らせたなら。

きっとそれが
理想なんだと思います。

理想は理想のままで
終わるかもしれない。

だけど
それでもせめて

理想に1ミリだけでも
近づこうとする努力は
やめたくたいなと思うのです。

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