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【物語】二人称の愛(上) :カウンセリング【Session36】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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2016年(平成28年)03月20日(Sun)春分の日

 今日は春分の日であり、サラリーマンや学生達も通勤や通学するのに電車の車内はまばらで乗客も少なく、少しゆっくりとした面持ちで学は上野駅へと向かった。そう今日はじゅん子ママと上野駅で朝9時に待ち合わせをしていたのだ。そして、今日があの地下鉄サリン事件(オーム真理教)からちょうど21年目の日であった。

 学はじゅん子ママと最後の確認を行うため、上野駅でじゅん子ママと待ち合わせをし、そして霞ヶ関駅まで地下鉄メトロ 日比谷線で向かう予定であるのだ。学が上野駅に到着した時には既にじゅん子ママは先に着き、学を待っていた。そのじゅん子ママの表情は少し強張り不安な表情を浮かべていたのだ。学はじゅん子ママに近づき、そしてこう言った。

倉田学:「おはようございます、じゅん子さん。お待たせしました」
じゅん子ママ:「おはようございます倉田さん。今日は宜しくお願いします」

 そう言うと学とじゅん子ママは早速、地下鉄メトロ 日比谷線の上野駅の改札へと向かったのだ。そして改札の手前まで来ると、じゅん子ママは表情を固くしてこう言った。

じゅん子ママ:「倉田さん。わたし恐いです」
倉田学:「大丈夫です、じゅん子さん。僕がついてますから。それにじゅん子さんはもうひとりでも大丈夫です」

 そう言うと、二人は改札で『スイカ』をタッチしてホームへと入っていった。そして日比谷線(北千住発中目黒行)に乗ったのだ。それは地下鉄サリン事件(オーム真理教)の時と同じルートを辿る電車で、上野駅で二人はその電車に乗り込んだのだ。
 学とじゅん子ママは電車の座席に座り、その時のじゅん子ママは身体が硬直し、少し震えているように学には見えた。学はすぐさまじゅん子ママに声を掛けたのだ。

倉田学:「じゅん子さん。大丈夫ですか?」
じゅん子ママ:「わたしすごく怖いです。霞ヶ関駅まで行けるでしょうか?」
倉田学:「今までカウンセリングしてきたことを思い出してください。呼吸を整えてリラックスしましょう」
じゅん子ママ:「はい」
倉田学:   「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」
じゅん子ママ:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」
倉田 学:「少し落ち着いたでしょうか?」
じゅん子ママ:「ええぇ」

 電車は次第に築地駅に近づいて来た。それと同時にじゅん子ママにも異変が現れた。じゅん子ママはうつ向き、そしてハンカチを顔にやり泣き出したのだ。そして小声でこんなことを呟いていた。

じゅん子ママ:「ごめんなさい皆んな。わたしだけ生き残って・・・」

 それを聴いた学はじゅん子ママに語り掛けたのだ。

倉田学:「あなたも今まで辛い思いをして来ました。でも亡くなったひとの分まで生きる必要があります。それは同じ気持ちを味わったあなただけにしか出来ないことです」

 学がそう言うとじゅん子ママはこう言った。

じゅん子ママ:「わたしは幸せになっていいんですか!? あのひとの分まで生きていんですか?」
倉田学:「これからは自分の為にしっかりと生きることが、生き残ったひと達の使命だと僕は思うんです」

じゅん子ママ:「わかりました。ありがとう」

 そう言うと、じゅん子ママはハンカチで声を塞ぐように声を挙げて泣いたのだ。学は彼女のその様子をしっかりと見届けていた。そしてじゅん子ママのトラウマを乗り越えようと言う強い彼女の中の生命力を感じることが出来たのだ。
 電車は築地駅を過ぎ、そして霞ヶ関駅へと近づいていた。そう彼女の大切なひとと待ち合わせていた場所である。しかしもうそのひとは意識を取り戻すことはない。その大切なひとと一緒に彼女の誕生日を迎えるはずだった21年前のこの日、こうしてようやくじゅん子ママは降り立つことが出来るのだ。

 電車が霞ヶ関駅に到着した。学とじゅん子ママは電車を降り、そして『A1』出口へと向かったのだ。そうじゅん子ママの大切なひととは、東京地方裁判所に勤めていたひとであった。二人はその東京地方裁判所の前まで行き、そして建物を見上げた。そして学はこう言ったのだ。

倉田学:「じゅん子さんの大切なひとって裁判官だったんですね。そして確かオーム真理教の松本サリン事件も裁判官を狙った事件だったはずだが・・・」
じゅん子ママ:「ええぇ、そう。地下鉄サリン事件(オーム真理教)も霞ヶ関にある中央政権を狙った事件だったのよ」
倉田学:「それで大切なあのひとは、今どうされているんですか?」
じゅん子ママ:「聖路加国際病院に入院してて、今も意識が・・・」
倉田学:「そうですか。僕は裁判員制度は危険だと思うんです」
じゅん子ママ:「どうしてですか?」
倉田学:「裁判官でもないひとが判決を決めるのって、物凄く重荷を背負わせることだと思うんです」
じゅん子ママ:「重荷って言うのは?」
倉田学:「例えば、この地下鉄サリン事件(オーム真理教)のような危険にさらされたり。それに裁判員が被告を死刑判決したとしたら、それは間接的な殺人になると僕は思うんです」
じゅん子ママ:「では、どうすればいいんですか?」
倉田学:「僕は死刑にまず反対です。その代わりに恩赦のない終身刑にするべきです」
じゅん子ママ:「どうしてそう思うんですか?」
倉田学:「だって考えてみてください。裁判員制度は必ずしも公平な判断が出来るとは僕には思えません。例えば博識ある有名人が裁判員のひとりとなった時、他の裁判員はその博識あると思われる有名人の意見に流されると思いませんか?」
じゅん子ママ:「そうねぇー。法律の番組とかで有名なひとが裁判員になったら、他のひとの意見よりそのひとの意見の方が重んじられる可能性はあるわねぇ」
倉田学:「僕は裁判員制度そのものを否定するつもりはありません。しかし、この制度を導入する前に倫理教育をちゃんとする必要があると思うんです」
じゅん子ママ:「その倫理教育って誰が教えるんですか?」
倉田学:「本来であれば、裁判所が行うべきです」
じゅん子ママ:「そんなこと現実に可能なの?」
倉田学:「可能かどうかはわからないけど、それをやらないで裁判員制度を行うのは裁判官の職責放棄です」
じゅん子ママ:「倉田さん。そこまで言うのでしたら、倉田さんの倫理って何ですか?」
倉田学:「僕は自分なりに倫理について向き合ったことがあります。そしてわたしの倫理とは以下です」

【自然法】
 自然法には、原則的に以下の特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。

1.普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
2.不変性:自然法は人為によって変更されえない。
3.合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。

 自然法の法源が制定法や判例法でない以上、その認識手段が常に問題となる。基本的に自然法の認識原理は、その法源の種類にかかわらず理性であると言われる。すなわち、自然法が超自然的な存在によって作られたものであろうとなかろうと、それを発見するのは人間の理性である。理性が人間の自然本性である以上、合理的思考は自然法の認識にとって不可欠となる。ストア派にとって倫理学は論理学と自然学の上に成り立つものであり密接不可分である。

【実定法】
 国家機関、特に立法府の制定行為、および慣習、判例などの経験的事実に基づいて成立し、その存立を経験的、歴史的に実証される法。したがって実証法とも言われる。事物もしくは人間の本性に基づいて成立する永遠普遍の法である自然法に対置され、可変性、歴史的相対性をその特徴とする。

 倉田学:「僕は哲学の世界で生きています。そして法律とは実定法です。だから世の中の時代と共に法律も変わります。しかし自然法は哲学の範疇です。それは永久普遍の価値観です。時代が変わっても変わることはありません」
じゅん子ママ:「わたしには難しくてわからないわ」
倉田学:「極論すると実定法では個人的な殺人は犯罪で罪に問われます。しかし戦争が起こり、敵国の兵士をたくさん殺したひとは英雄になることができるのです。これが実定法です」
じゅん子ママ:「なんか矛盾が多いのはわかるけど」
倉田学:「これが国の法律と言うやつです。悲しいことに」

 そう学は言って、じゅん子ママの方を向いたのだ。じゅん子ママの様子を観ると、もう彼女の抱えていたトラウマは嘘のように晴れていたのであった。そして陽は登り、暖かい陽射しが差し込んでいたのである。

~ First Session END ~


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