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【答えの出ている哲学】が存在した時代

哲学ファンの皆様!
どうもお待たせしました。
なかなかこのマガジンを更新できずにいました、、。
でも、哲学マガジンやめたらフォロワーと閲覧数上がったら、そりゃあ、そっち書きたくなるよね?
だからさ、哲学ブログ楽しみにしてくれてる人はさ、読まなくていいから、閲覧数上げるためにもう一回最初からマガジン読んできてもらってもいいかな?
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1.哲学的な問いに対する聖書の答え

じゃあ、ここから本題いくよ!
前回は、キリスト教が教育から全てを一手に引き受ける時代が来た話をしたね。
そう、今まで哲学は頑張ってきたんだけど、修道院がオープンして、そこが教育などを引き受けていくことになったのね。
でも、みんなもう一度、哲学って何か考えてみて?
哲学ってさ、答えのない問を探し続けていく学問だよね?
人生の意味とか。
本当の真理とか。
でも、聖書ってそれに関して全部答えが出てるんだ。
人生に関して聖書はこういうんだ。

コリント人への手紙第一6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
出典:聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会


そんで、本当の真理に関してはこのように言っているのね。

ヨハネの福音書14:6
イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
出典:聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

そう、生きる目的も真理も聖書で、はっきりしちゃったんだよね。
聖書はボクたちが生きているのは、神様の栄光を表すためで、真理はイエスキリストだと言っちゃたのね。
もう、哲学の出る幕はなくなっちゃったみたいな感じなんだ。

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「いや、でも!!!」って思う人もいたんじゃない?って思うよね。
そう、もちろんいたんだけど、なんせ中世っていうのはキリスト教一色だから
理性」とか「ギリシャ哲学」と呼ばれるものも、
理性はいかに真理に近づく助けとなるのか」
とか
ギリシャ哲学のプラトンやアリストテレスは神という存在にまで達していた。あるいは聖書を読まずとも似たようなことを考えていたのではないだろうか?だって、聖書が真理だから!」
みたいな感じになっちゃったんだよね。

2ここにきて再び、プラトン!

プラトンの考えはなんだっけ?
イデアだったね!
詳しく知りたい人は、先にこっちを読んでね。
2分で読み終わるから。

そう、このイデアという考え方は中世でどう理解されたのかというと

神の国(イデアの世界)とこの世界(偽物の世界)

というふうに解釈されていたんだ。
だから、
「まあプラトンの考え方は、非常に聖書的で〜、ですね。」
みたいな感じで教えられていたし、哲学は理解されていたんだね。
プラトンもきっと思っただろうね。
そんなつもりは全然なーーーーーい!!って。
でも、死人に口無し、、、、、。
この考え方は、教会と世俗という分け方をして、宗教改革まで続くことになるんだね。
二元論の良さももちろんあると思うんだけど、同時にこ排他的になったり、差別的になる危険性があることは覚えておきたいね。

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3.まとめ

この中世の時代はとにかく聖書なんだ。
答えがわかってしまう問いってどうだろう。
つまんないかな?
それとも考える意欲が駆り立てられるかな?
でも長い間、聖書が答えだった時代があったことは確かなんだ。
そして、今も多くの人がこの聖書が真理だと信じているんだね。
ボクも、キリスト教の伝道師をしているし、この聖書の勉強をしたんだ。

さあ、君は人類が長らく信じていた聖書、
今も多くの人が真理と認める聖書とどのように向き合ってみるかな?

ってカッコつけた言い方をしたけど、
実はこの後、哲学史は、神中心から再び人間中心の時代になるんだ。
合言葉は、「ルネッサンス!」だ。
では、また次回会おう!

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