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わたしという生きもの。

わたしが何者か???

プロフィール見ててもなんのこっちゃわかりませんよね。

個人的な活動として思いつくのだと・・・

バンド muupeas のKEY BOARD, GUITAR, 作曲・作詞 担当 

映画「飢えたライオン」脚本 

(バレンシア国際映画祭(CINEMAJOVE)にて「最優秀脚本賞」と「若手審査員賞」、プチョン国際ファンタスティック映画祭にて、「NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)」いただきました!メディアやSNSリテラシー、セカンド・レイプなどがテーマの為、海外での評価が高く、公開から3年目とかですが、去年もユニセフ イノチェンティ映画祭にもご招待いただいている映画です。)

YOUTUBE 小説「OTO-MONOGATARI」https://www.youtube.com/channel/UCtXHXtRThaBk3GW4SVSlSXg

あとは、honey lemon pie vintage というOnlineのヴィンテージショップを運営しています。


以前、仕事については追い追い書くと書いたので、書いてみます。

生業という仕事は、コンサル、クリエイティブディレクター、ブランディング、マーケティングやPR(広報)、のお仕事です。

2005年に独立して、そこから一応会社業態にはしてやってきました。

多分、みなさんがご存知の国内外のファッションや美容ブランドのブランディングやPRをはじめとし、その後、カルチャー(映画とか音楽)関係、食品など、多岐に渡って手がけてきました。

誰も知らなかったようなブランドを今や、誰でも知るオシャレなブランドというイメージに持っていった、リブランディングなどの実績が評価されていることもあり、スタートアップやリブランディングが得意です。

NYの美大を卒業し、自らも創り出すという事が好き、そして、アーティストとしての活動もしている為、そのクリエイティビティやコネクションが必要な際に、起用されています。

ちなみに、美大では、ファインアート学部イラストレーション科を卒業しているのですが、なぜ、「描く」ということを生業にしなかったかというと、イラストレーションは商業であって、自分が描きたいものを描くことではない、ということを4年にもなって知った「世間知らず」だったからです。

それは、人生、1度目の挫折ではありました。

そこで、商業として、割り切って仕事にしたいと思えることがファッションだった為に、今のお仕事の方向へと舵を切ことになるのですが、その時も、まだ世間知らずだったので、本当は、デザイナーになりたかったんですが、デザイナーたるもの、またファッションデザインの大学で勉強しなきゃいけない(私の美大にはファッション科はない&世間体を気にする親との約束で、まずは4年で大学を卒業してから、大学院に行くなり、別でファッションの単位を取りに行く)と思っていました。それで、晴れて、4年で大学は卒業し、家の近くのFITというファッションの大学の大学院に行こうと思っていたんですが、なんと、私が大学を卒業したその年に、9.11事件があった為に、やむを得なく帰国。

で、ひょんなきっかけでロンドンへ渡英し、ROSS HALFINの元で働いた特別な経験や出会いというのが、以前こちらに書いた記事に触れています。

そして、帰国後、とある小さな広告代理店の新規事業のファッション事業部に就職しました。当時、裏原系というファッションが流行っていて、NYにいると、NYの友達(皆、大学出てからとか単位取ってから大学にくるので、日本人の友達は同年代がほぼいなかった)にその裏原系のデザイナーやそれを流行らせるスタイリストというお仕事のお兄様お姉様がたが会いにいらっしゃるので、彼らに可愛がっていただいていたんです。

それで、帰国した際に、お姉様お兄様方から
「FUKIはプレスが合うよ。プレスしなよ。」
と言われ、当時の私は正直、プレスって何よ???って感じで。笑

本気で、アイロンのプレスだと思っていました。笑(記者のことは皆、エディターとか編集って呼んでいたので)

話は戻りますが、正直、入社した会社の事業部には同期と二人のみ。業務はプレスと聞いて入ったんですよね。でも、蓋を開けたら、海外のブランドの輸入代理業務全てをしなくてはならない。バイイング、MD、企画、PR、経理、在庫管理全て。

右も左もわからぬヒヨッコ2人です。社内にはほぼ、誰も教えてくれる人はいない状態なので、外に聞きに行くしかないですよね。

プレスのリストが欲しいと頼んで来いと、社長に言われ、友人に「それで食べているというか、会社の財産を渡すようなこと、できるわけがない!」と叱責されたこともあります。全てが、トライ&エラー。

ただ、その時の経験は、能動時に動くことが当たり前になって、あの時の経験があるからこそ、今があると思いますし、早期の独立にはつながったと思います。

そして、社内でずっと悩んでいた事があり、お姉様方に相談したところ、

「アタッシェ・ドゥ・プレスやりなよ。色んなブランドのプレスやればいいじゃん。私らからもお願いできると思うし。」

という訳で、当時の彼氏にも相談したところ、彼も私の悩みに対しては、いち早く解決して欲しいと思っていたみたいで、生活面でサポートしてくれるとのことで、私の独立が決まりました。

今、思えば、そんな思い切ったことをよくも、って感じなのですが、当時は若かったからということもあって、結構、竹を割ったような性格で、スパッと何事も決めてきたんですよね。

ロンドン行く!とか仕事やめて独立するわ!とか。

怖い目に合っていないのが不思議なくらい。笑

とはいえ、NYの大学への進学とかも、実は親のレールなんです。結構、そこのアンバランスさがある人間で。コントロールされてきたからこその、コントロールしようとする人との闘いとか(笑)葛藤は、今でもあります。

母のことは大好きですが、ある意味、俗にいう毒親の部類だと思います。それが理由で、別れた彼氏が何人もいますね。笑 

またテーマが違うので、これも追い追い。

話は戻りますが、そうですそうです。
お仕事です。

ブランディングとか脚本とか音楽制作って全然関係ないじゃん!って思うかもしれませんが、実はそんなことないんですよね。

ブランディングにストーリー性って凄く大事なことなんです。

どんな人にどういう形で届けたいか。

そのストーリーを描かなくてはなりません。お話と一緒です。

実は、脚本を書かせていただいたキッカケの方が、たまたまで。

私は、テレビを見ない代わりに、映画をめちゃくちゃ観るんです。

それで監督にドラフト時点で、「ちょっと意見聞かせて」というところから、色々意見を言ったり手直しをさせて頂いたりしたら「もう書いて。」となって、書いたのがキッカケなんですよね。笑

音楽制作も、ストーリー性があります。音楽の中に、ちゃんと起承転結があります。歌詞がつく場合は、特に、これに関しては、詩ですから、歴としたお話ですよね。

ブランディングには、コピーライトや、詩を使うことは多々ありますから。

そんな訳で、器用貧乏は、器用貧乏なりに、マルチっぽくできることを組み合わせて色々と自分の能力を活用して、自分の仕事に落とし込んでいるという感じで、「これもできますか?」みたいな感じで仕事を請け負ってきた部分はあります。

結果を出して、業界で認知度が上がったブランドが、どのブランドかはここでは言えませんが、美容ナチュラル系ブランドです。ただ、それまではファッションやカルチャーのブランディングやPR、マネジメントしかやってきていなかったんですよね。

そこで、とにかく当時あった美容ブランドがもつ野暮ったさや、土臭さを消し去る作業を行うために、ターゲットを美容ではなく、デザイン関係、ファッション関係、カルチャー、建築に変え、イメージを一新しました。

だから、やった事がない業界だからと言ってできないことではなく、やった事がないからこそ、新しい化学反応を起こす事ができ、結果が残せるということは、実績として、証明できることです。

そんなこんなで、長くはなりましたが、もし、何か、
これ、「できますか?」があれば、ご一報くだされば、あ、この人とこの人掛け合わせて、これしたら、こうできる、とか、そういうのも得意なので、お気軽にご相談くださいませ。



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