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食べすぎ、タバコ、SNS…やめるのに「意志」は関係ない。(第3回)

こんにちは、フォレスト出版編集部の杉浦です。

「過食」「タバコ」「ネット」「SNS」「人間関係」「苦手な人」「うっかりミス」「スマホ」「先送り」「あがり症」「甘いもの」……

やめたいのに、ついやってしまう習慣が1つくらい皆さんもあるのではないでしょうか?

薬物や痴漢などで繰り返し逮捕される著名人がいます。そういったニュースの度に、「依存は治らない」「一生付き合っていかなければならない」という識者のコメントが流れます。こうした話を聞くと、「意志が弱いからやめられないんだ」といった感想を持つかもしれません。

でも実は、やめられない行動を「依存症」と呼ぶことに誤りがあります。ヒトの本当の行動メカニズムに従った技法で対応すれば、欲求は消えるのです。やめられるかどうかは、「意志」に関わる範疇ではないのです。

今回、嗜癖(しへき)治療最先端の技法を用いて患者さんに対応し、実績を重ねている専門ドクターの監修を得て、この貴重なメソッドを皆さんにお伝えすることができるようになりました。

本日は、先週公開した記事の続きです。

「『意志』が弱いからやめられない」は大間違い 

 夜が来ると飲みたくなる人、電車から降りてネオンサインを見たら飲み屋に行きたくなる人は、「夜が来た」「電車から降りた」「ネオンサインを見た」という「刺激」の入力に対して、「第一信号系」から「飲みに行く」という行動を司る神経活動が「反応」として出力されます。
 家ではなく飲み屋に行って飲みたくなるのは、朝、自宅を出て、職場に行き、午前の仕事をして、昼食をとり、午後の仕事をして、仕事の片付けをして、職場を出て、飲み屋に向かい、飲み屋での寛いだ雰囲気の中で飲み相手との楽しい会話があり、そこで飲酒し、アルコール血中濃度が高まり、アルコールの薬理作用により「生理的報酬」が生じるからです。
 その効果により、朝起きたときから、そこまでの「刺激」と「反応」の連続が定着する方向に進みます。何回もその行動を反復すると、その行動が固定的になります。そのように並んだ「反射」を「反射連鎖」と言います。夜を待たずして朝起きたときから、夜の飲酒の方向に行動は向いているのです。

 実は、人間の場合、「生理的報酬」が生じるのは「防御」「摂食」「生殖」の三つの活動に成功したときだけではありません。摂取した覚醒剤やアルコール等の薬の作用によっても生じます。さらに「第二信号系」で起きる達成感によっても「生理的報酬」は生じます。成績がクラスで一番になったり、選挙で勝ったりすると、もう一度、頑張りたくなるのです。頑張る行動が「第一信号系」に定着したのです。

 ワーカホリックになるのも、妻を見たら怒鳴るDV夫になるのも「生理的報酬」の効果です。「これ以上頑張ったら身体を壊すから休んだ方が良い」とか、「妻を苦しめてはいけない」などと「第二信号系」が判断し、決意しても、過去に仕事の達成や妻に対する支配の達成により「生理的報酬」が生じることが反復し、そうした行動が「第一信号系」に強く定着していたら、そうした行動の「反射」による作動は「第二信号系」を凌駕します。そのような「第一信号系」は、「第二信号系」に強い影響を与えるので、「仕事のやりすぎは身体に悪いかもしれないけれど、やはり、私は死ぬ気で頑張るのが信条だ」とか、「妻を怒鳴っても殴るよりはマシだ」などと「第二信号系」の「思考」をゆがませ、従えます。結果、人間は自他の心身を破壊してしまいます。

 昔から私たちは「意思(意志)」という言葉を使っています。人がしようとする行動の内容を決めるのは「思考」という機能であり「意思」はその内容である、と捉えていますが、それらは例外なく、いかなるときでも「第一信号系」の影響を受けているので、純粋な「意思」というものは存在しません。また、「意思」と似た言葉に「認知」というものもありますが、これらの言葉は互いに正反対の機能を持つ「第一信号系」と「第二信号系」の作用の結果のものです。ですから、「意思」や「認知」という言葉を用いて、人の行動を分析したり治す方法を考えたりすると、間違いがあったり、効果が不十分だったりします
 ちなみに、本書の最後でも紹介するロボットの研究をされている前野隆司氏は、人が自分の意図を意識する前にすでに脳の活動が始まっていることを発見した海外の実験結果から、「意識は無意識の結果をまとめた受動的体験をあたかも主体的な体験であるかのように錯覚するシステム」であると説明しています(『脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説』筑摩文庫)。「意思」について、私たちは思い込みを捨てて、改めて考える必要が確かにあるのです。

「わかっちゃいるけどやめられない」のはなぜか?

 私たちはこの「第一信号系」の「反射連鎖」が作動し、しかし、それが実現していないとき、「欲求が生じている」と感じます。飲酒ならば、例えば、「夜が来た」「電車から降りた」「ネオンサインを見た」という「刺激」が入ると、「第一信号系」が「反応」し、それまでに成立していた「反射連鎖」が作動して、「飲み屋に行く」行動が生じます。一方で、「思考」して行動を牽引する司令塔である「第二信号系」が「飲んではいけない、お金もないし家に帰らないといけない」と判断し、飲みに行くのをやめようとします。このとき、「飲み屋に行く」行動を作る「第一信号系」と飲みに行くのをやめようとする「第二信号系」との間に摩擦が生じ、焦燥や苦悩を感じます。第一信号系で無意識的に進んでいる行動の方向を、第二信号系は意識し、そこに焦燥や苦悩が伴うので、その状態を第二信号系は「欲求」が生じていると解釈するのです。この摩擦が大きければ大きいほど「欲求が大きい」と「第二信号系」は感じます。

悪い習慣_図3

 飲み屋に行って飲酒した回数が多いほど、この勝負は「第一信号系」の方が有利になります。そのわけは、「第二信号系」が、たった120年も生きない個人の考えが及ぶ範囲で、「よりよく生きよう」と行動する司令塔であるのに対し、「第一信号系」は生物が植物と動物に分かれた後に動物の行動の司令塔になって、「守る、食べる、子孫を増やす」という行動を正確に反復することで全ての動物の生命を支えてきた司令塔であり、その司令塔の起源は、38億年前の生物発生のときから地球上の全ての生物の生命を支えてきたのです。従って、「第一信号系」が一つの行動を何回も反復したときは、どうしたって「第一信号系」は「第二信号系」に勝るのです。なので、「わかっちゃいるけど、やめられない」状況になるのは、実は生物種としての正常な現象の延長だと言えるのです。しかし社会的には逸脱です。第一信号系の反射連鎖は、欲求に従った行動の反復や、あるいは、未成年期に過酷な体験の反復があると、強力に作動するようになり、第二信号系では制御しきれない状態に至ることがあります。その状態に陥ったら、「第一信号系」の「過剰な作動」が起きた、と表現するのが適しています。
「意思」という間違った意味を持つ言葉を用いて繰り返しますが、「意思(意志)が弱いからやめられない」のではありません。

※本稿は『やめたいのにやめられない 悪い習慣をやめる技術』(小早川明子 著/平井愼二 監修)より抜粋、一部再編集したものです

いかがでしたでしょうか? 私はこのところ、おせんべいを食べながらオーディション番組を観るのが日課になっており、オーディション番組を再生すると自動的におせんべいを食べたくなっている自分に気づき、いかに脳が「ハマり」やすいかを実感しました……。「いまからおせんべいを買いに行こうかな」と逡巡する様は、まさに、「焦燥や苦悩が伴うので、その状態を第二信号系は『欲求』が生じていると解釈する」状態だったことがわかります。

本日ご紹介した書籍は、こちらです。ご興味のある方はぜひお手にとっていただけますと幸いです。


▼第1回目の記事はこちら

▼第2回目の記事はこちら

(Photo by Thong Vo on Unsplash)

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