「発達障害=個性」にならない日本社会!?

こんにちはフォレスト個別指導塾枚方校の西川です。

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しかし、この日本社会ではその個性は社会からどのように受け止められているのが現状でしょうか。

精神科医師の和田秀樹氏はおっしゃっています。

「灘高は変なヤツが多い学校です。あそこに集まるような天才肌の人たちってたしかに共感力が低いから、発達障害のレッテルを貼られかねないわけですけど、普通の国だったら、そいつらを天才予備軍として大事にするんですよ。

 これに関しては、発達心理学者で英国のケンブリッジ大のサイモン・バロン=コーエン教授がいいことを言っています。彼は、人間が動物でない形で進化した要因が、まず、共感能力にあるとする。これは、他人の気持ちがわかる能力のこと。  もうひとつの要因として彼が挙げているのが、システム化力で、物事の規則性を見つける能力。これがあるからいろいろな発明や発見ができているわけです。そしてコーエン教授によると、共感能力とシステム化力は逆相関の関係にある。


いわゆる共感能力の高い人──日本で言うところの文系脳とか国語脳みたいなもの──と、システム化力──日本で言う理系脳みたいなもの──が逆相関にあるから、共感能力が非常に弱くてシステム化力だけが高いやつは、 日本では発達障害として弾かれてしまう。ところが、海外ではそういうのを受け入れるから、スティーブ・ジョブズみたいな人が世に出てくるっていう考え方をコーエン教授はしてるわけだよ。

ちょっと落ち着きがないだの、ちょっと片付けられないだの、ちょっと人の気持ちがわからないだの、そういう人たちは別の特性や長所も持っているのに、そこを個性と見ないで変なヤツとして排除する。

それはもともと日本という国の特性でもあって、落ち着きのないヤツよりは、じっと座って授業を聞いていられるヤツの方が偉くて、みんなと合わせられるやつが良い子とされる文化だから。

人の気持ちがわからない天才肌よりも、人の気持ちがわかるちゃんとした人間のほうがいいわけです。

他の国だったら、「いや、変わり者でもいいじゃん」って受け入れられやすいのに、

日本ではそこを排除する文化に発達障害の診断がお墨付きを与えている。

変わってる人たちに対して日本は不寛容だから、病気だってことにするのは都合がいい。

そこが日本の場合、発達障害を抱える人たちの不幸でしょう。」   


 以上は 和田秀樹氏 対談内容を一部抜粋しました。



日本は周りを海で囲まれた地形のため他国からの影響をあまり受けず、独自の文化を育むことが出来ました。それは長所でもあり短所でもあります。

特に江戸時代以降 村社会を形成しお互いにお互いを監視させるシステムを構築してきました。その名残は現代社会でも色濃く残っております。

同調圧力が強く働く社会が今の日本社会です。

そのような中では個性のある子の中には生きづらさを感じている子も少なくないのではないでしょうか。

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