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【映画rie】ヤマザキマリ氏解説で再燃。安部公房『砂の女』 砂×SFの原点。


ヤマザキマリさんの解説で小説『砂の女』(安部公房)が話題になっていたので、久しぶりに勅使河原宏監督の1964年の映画版を観る。粟津潔によるオープニングタイトルでまずノックアウト。the 60年代前衛。


冒頭30分 きめきめの構図と緊張感の洪水。
不穏と不条理をこれでもかと聴かせる武満徹の60年代でしかない音楽で一気に持っていかれる。こんなに格好良かったんだっけ。

砂は取るに足らないような顔を見せながら 美しくも恐ろしい。それに気づかせる砂描写は気合を感じる。どれだけ撮影は大変だった事だろう。照明もカメラも今より大きく不便だろう。


舞台劇のような、二人の俳優が素晴らしい。

上っ面の理性でコーティングしたような岡田英二演じる男。(計算したらこの時44歳前後。今の私と同世代。全部足りているようで何か足りていない人物にチャント見える。賢いようで…何かが足りない。のに顔や所作に魅了される。マストロヤンニのような端整さ)

岸田今日子。最初に映った時、かまきり見たいな女だなと思った。主体性がないようで、頑固なまでに芯が強い。演じるのが一番むつかしそう…一度舞台を拝見したかったなぁ。。。

ちなみに先日観た 今夜は最高!(80年代タモリのタモリ的深夜番組)の岸田今日子出演回。ふわふわしてるのに 揺るぎない彼女に圧倒されたばかり…虚と実の彼女が 私の中で重なり腑に落ちた。
 https://youtu.be/ktbEJbIwI10

残酷なまでに観察する視点で 、即物的に二人を映し出すカメラ。毛穴しか見えないくらい 顔や鼻に寄ってみたり。抱擁の時の手の動きは、虫が這うようだった。二人は観察されながら 監視されてもいる。

砂×不条理な世界感は、生活しか描いていないのに SF映画に見えてくる。

砂×SFという 今では良くある定番の設定の中でも、ビジュアル込みで『砂の女』は、たくさんの影響を のちの映画などに与えている気がするんだけど…実際のところ どうなんでしょう。教えてえらい人。

例えば先日見た、1968年公開の『猿の惑星』1作目

冒頭の方とか 似てると思ったんです 砂の女に。音楽も武満徹的でしたし、科学を愛する現代的な男が、隔絶した社会で気づきを得たり。肩書きも能力も 意味を失ったり。

100分de名著。テキスト買っちゃった。

安部公房が小説『砂の女』を発表したのが62年。映画『砂の女』の公開が64年。映画『奇跡の丘』も64年。『DUNE砂の惑星』の原作小説が公開されたのは65年。(情報は全てwikipediaより)そして猿の惑星が68年。

60年代の砂映画。

格好良いのが多いので 思いついた物を適当に上げましたが。ここにもっとサブカルチャー的なもの入れたらキリがないと思います。主要な作品の因果関係は ないようで、ある! 気がするんですけど(読み解き方が少し陰謀論者的でしょうか?)

ちなみにアラビアのロレンスの公開は62年。そういう時代だったからで、済まないような気がするんです(個人的に笑)60年代砂映画ヒストリー、ご存知の方いらしたらぜひ。

男と砂の格闘は、現代人、私達の日々の葛藤。

生きるために仕事をするのか、仕事をするために生きるのか。肩書きの無意味。世間の残酷性。上位にいたはずが ある日、最下位の地底での 逃れられない暮らしにとってかわる。生きるためなら、すすんで飼い慣らされる。耳がいたいなー



ヤマザキマリさん×高橋源一郎さんの雑談と解説。

一番衝撃を受けたのが、ヤマザキさんが若い頃留学したイタリアで顔を出してた文学サロンで(この時点で すごいと思うんですけど)

君は物を全然知らないから、これとりあえず読め。と年長者から渡されたのが安部公房の砂の女イタリア語版だったと。

作品的価値や知名度が日本で思っているのとは、全く別次元だと、この話で知り。今日の今日まで分かってなくて…恥ずかしい。


映画が世界的に評価され、そこから原作の評価、となったそうですが。

今、日本で映画『砂の女』は気軽に見られないし。安部公房は売れている、という話だけど ほんとだろうか。現に今 PCで書いていますが、何度入力しても最初に出るのは 安部工房ってなります泣。


https://youtu.be/MXPDlRLTSpg


これを機に安部公房の本や映画に触れようと思っている。謝謝



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