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毎日投稿は恥のかき捨て


2024年4月14日(日)朝の6:00になりました。

生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。

どうも、高倉大希です。




毎日投稿をはじめて、今日でちょうど470日が経過しました。

朝の6:00に間に合うように、日々文章を書いています。


眠気ニモマケズ、二日酔イニモマケズ。

我ながら、よくやってんなと思います。


同じように毎日投稿をしている人のことは、心から尊敬します。

こんなこと、よくやってんなと思います。


デューイにとって、教育における努力は興味と対立するものではない。「努力」とは「活動の持続」あるいは「連続」を意味している。それは、ある事柄について深く思考し、反省し、探求し、調べようという「警告」である。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


毎日投稿をしたからといって、何かが大きく変わるわけではありません。

お金をもらえるわけでもなければ、褒め称えられるわけでもありません。


スキを押していただけるのは、もちろん喜ばしいことです。

一方で、だから何だと言われてしまえばそれまでの話です。


それでも、毎日書いています。

我ながら、よくやってんなと思います。


「どんな仕事でも、とにかく毎日、一〇年やったらモノになる」と言いましたが、一〇年以上やっている人は、まず、「自己評価が正確である」と言えるんです。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


書けば書くほど、露呈します。

勘違いも思い上がりも、すべて文章に表れます。


だから過去の文章を読むと、恥ずかしくなってしまいます。

当時の最高傑作も、今となっては黒歴史です。


でも、それでよいのだろうなと思います。

毎日投稿は恥のかき捨て、セルフスクラップ&ビルドです。


高校野球の甲子園大会を考えてみてください。みなさん、思ったことはないでしょうか?賞金がもらえるわけでもなきし、仕事でもないのに、なぜ高校球児たちはあれほどまでに野球に情熱を燃やすことができるのか、と。彼ら高校球児は一体どのような恩恵を受け取っているのか、何を目指しているのかというと、「勝てばまだこのチームで試合を続けることができる」ということそのものです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


過去の自分を、恥ずかしいと思えている。

言わばそれは、成長している証です。


そんな恥ずかしさを、毎日少しずつ味わいます。

微調整を行いながら、毎日少しずつ進みます。


それが、毎日投稿です。

我ながら、よくやってんなと思います。






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