見出し画像

わかりやすさは思考を奪う


2023年12月17日(日)朝の6:00になりました。

わかることが増えると、わからないことも増える。

どうも、高倉大希です。




学校の先生になりたてだったころ、必死になってわかりやすい授業をつくろうと頑張っていました。

あの手この手で、ひたすらにわかりやすさを追求しました。


この授業の黒板は、こんなふうに書き進めてみよう。

この授業の解説は、プリントで補足してみよう。


自分の説明で子どもたちが「わかった!」と言ってくれることが、とてもうれしかったのです。

子どもたちが思考する機会を奪っていたということに気がついたのは、もうすこし時間が経ってからのことでした。


子どもがケンカをすると、すぐに大人が割って入って仲裁しようとするけど、緊急性が高くないならまずはそっと見ていなさい、と。子どもたちは、人間関係を自分で磨き直す力を持っている。にもかかわらず、大人が「やめなさい」「謝りなさい!」などとすぐに介入するので、人間関係を自力で修復する機会を奪われ、かえって恨みを募らせることにもなるのだと。

苫野一徳、工藤勇一(2022)「子どもたちに民主主義を教えよう」あさま社


かつては、スライド資料をつくることが大好きでした。

あの手この手を試しながら、ひたすらにわかりやすさを追求しました。


この文字は、他の文字よりもサイズを大きくしてみよう。

この表は、アニメーションをつけて後から表示させてみよう。


自分のこだわりを好きなだけ詰め込めることが、とてもおもしろかったのです。

スライドはあくまでも手段のひとつでしかないということに気がついたのは、もうすこし時間が経ってからのことでした。


抽象化とは一言で表現すれば、「枝葉を切り捨てて幹を見ること」といえます。文字どおり、「特徴を抽出する」ということです。要は、さまざまな特徴や属性を持つ現実の事象のなかから、他のものと共通の特徴を抜き出して、ひとまとめにして扱うということです。

細谷巧(2014)「具体と抽象 世界がわかって見える知性の仕組み」dZERO


目の前に見えているものごとは、全体の一部でしかありません。

全体が見えない限り、その一部にこだわるべきかを判断することはできません。


どれだけ、一部をわかりやすく伝えたところで仕方がありません。

本来ならば、全体につながる授業をつくらなければなりません。


どれだけ、一部の手段にこだわったところで仕方がありません。

本来ならば、全体にとって最適な手段なのかどうかを考えなければなりません。


ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよらといってくれることだと思います。だから、先生を見て、「ぼくって、わたしって、ちっちゃいなあ」と思えるような人じゃないとダメなんじゃないかなって思います。

高橋源一郎(2022)「5と3/4時間目の授業」講談社


できるだけ、思考したくはありません。

だからこそ、わかりやすさを求めます。


わかりやすさは、いとも簡単に思考を奪ってしまいます。

ずっと奪われつづけたら、そりゃあ思考する力は身につきません。


わかりづらさの中に滞在する。

もしかすると、そんな胆力が必要なのかもしれません。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。