わかりやすさは思考を奪う
2023年12月17日(日)朝の6:00になりました。
わかることが増えると、わからないことも増える。
どうも、高倉大希です。
学校の先生になりたてだったころ、必死になってわかりやすい授業をつくろうと頑張っていました。
あの手この手で、ひたすらにわかりやすさを追求しました。
この授業の黒板は、こんなふうに書き進めてみよう。
この授業の解説は、プリントで補足してみよう。
自分の説明で子どもたちが「わかった!」と言ってくれることが、とてもうれしかったのです。
子どもたちが思考する機会を奪っていたということに気がついたのは、もうすこし時間が経ってからのことでした。
かつては、スライド資料をつくることが大好きでした。
あの手この手を試しながら、ひたすらにわかりやすさを追求しました。
この文字は、他の文字よりもサイズを大きくしてみよう。
この表は、アニメーションをつけて後から表示させてみよう。
自分のこだわりを好きなだけ詰め込めることが、とてもおもしろかったのです。
スライドはあくまでも手段のひとつでしかないということに気がついたのは、もうすこし時間が経ってからのことでした。
目の前に見えているものごとは、全体の一部でしかありません。
全体が見えない限り、その一部にこだわるべきかを判断することはできません。
どれだけ、一部をわかりやすく伝えたところで仕方がありません。
本来ならば、全体につながる授業をつくらなければなりません。
どれだけ、一部の手段にこだわったところで仕方がありません。
本来ならば、全体にとって最適な手段なのかどうかを考えなければなりません。
できるだけ、思考したくはありません。
だからこそ、わかりやすさを求めます。
わかりやすさは、いとも簡単に思考を奪ってしまいます。
ずっと奪われつづけたら、そりゃあ思考する力は身につきません。
わかりづらさの中に滞在する。
もしかすると、そんな胆力が必要なのかもしれません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。