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作品は変わらない、読むあなたが変わる


2023年10月4日(水)朝の6:00になりました。

行きつけの書店によって、人生が変わることがある。

どうも、高倉大希です。




ひさしぶりに読み返してみると、めちゃくちゃおもしろい。

ひさしぶりに読み返してみると、めちゃくちゃよくわかる。

これまでに出会ってきた本の中にも、そんな本が何冊かあります。


当然、作品は変わりません。

1回目に読んだときと、内容はまったくおなじです。

読んでいる自分が変わるからこそ、得られる感動も変わるのです。


あの人の天才的な感性を、世の中の人はまだまだわかっていないと僕は思う。それを、あの人の凄さを、もっとみんなにわかってもらいたい。これは、ほんまにほんまの話だ。

島田紳助、松本人志(2003)「哲学」幻冬舎


当然、逆も然りです。

かつての自分は、こんなものをおもしろいと思っていたのか。

そう感じるような作品も、中にはあります。


当然、作品は変わりません。

1回目に読んだときと、内容はまったくおなじです。

読んでいる自分が変わるからこそ、得られる感動も変わるのです。


事実を作者のイメージから切り離して論じられるわけがないのです。事実 — ファクトという言葉はもともと「つくられたもの」という意味ですからね。つくるのは誰かと言えばそれにふれた人間でしょう。

吉本隆明 、江藤淳(2017)「吉本隆明 江藤淳 全対話」中央公論新社


考えるという言葉は、かつて「かむかふ」と書きました。

最初の「か」は調子をつける言葉で、とくに意味はありません。

のこりの「む」は身を表し、「かふ」は交わることを指しています。


要するに、考えるという行為は本来、身を交わらせることでした。

対象と自分の身を交わらせることで、はじめてそれがわかるのです。

交わらせる身が変われば、考えることもそりゃあ変わって当然です。


作者すら気付いていない作中で生じた現象を掴んだり、「このように鑑賞する方法もある」と新たな角度から作品に光を当てなければ意味がないと考えている。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


この note をおもしろいと思ってくださっているのなら、それはあなたの力です。

何度読んだって、書かれている文章は変わりません。

読むあなたがおもしろいと思うから、この文章はおもしろくなるのです。


交わらせる自分の身なんて、案外簡単に変わります。

いまはおもしろいと思っている、もしくはいまはおもしろくないと思っている。

作品に対して抱く感情には、必ず「いまは」という枕詞がくっつきます。


長生きすればするだけ、自分が新しいゾーンに入っていくからね。知らないゾーンに入ったときは、いつも初心者になれます。そんな簡単に「初心に戻れ」ったって戻れないですよ。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


作品は変わりません。

読むあなたが変わるのです。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。