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できるだけつかわない言葉


2023年12月19日(火)朝の6:00になりました。

避けることができないものは、抱擁してしまわなければならない。

どうも、高倉大希です。




できるだけつかわないようにしている言葉が、いくつかあります。

つかうようにしている言葉ではなく、つかわないようにしている言葉です。


「人それぞれですよね」

「むずかしい問題ですよね」


たとえば、上のふたつなんかはできるだけつかいません。

わざわざ言うまでもない、あらゆるものごとの前提だと思っているからです。


気をつけていることはあまりないが、あえて言えばこうなる。
一、誰が言っても同じことをできるだけ避ける。
二、わからないことはわからないまま書く。
三、あまりにもつまらんと思ったら、もうひとつ書く。
このあたりのルールを守っていると、書くのが嫌じゃなくなる。

糸井重里(2004)「ほぼ日刊イトイ新聞の本」講談社


「むずかしく考えすぎだって」

「まじめに考えすぎだって」


この言葉も、できるだけつかいません。

自分が言われて、嫌な思いをしたことがある言葉だからです。


それ以上お前の思考に付き合うつもりはないと、切り捨てられた気になります。

おなじ思いをさせてしまうかもしれないので、できるだけつかいません。


数人で海に行く機会があると、その中の誰かに必ず云われる言葉がある。「海が似合いませんね」ええ、まあ、と曖昧に微笑みながら、内心は傷ついている。ああ、また云われちゃったよ。

穂村弘(2023)「蛸足ノート」中央公論新社


逆に、意識的につかっている言葉はありません。

つかわない言葉をわきに置いた結果として、残っている言葉をつかっています。


新しい言葉は、ほかの人から仕入れます。

影響を受けて無意識につかっている言葉は、もしかするとあるのかもしれません。


あくまでも意識しているのは、つかわない言葉です。

つかわない言葉が決まるから、つかう言葉も決まります。


中学生の頃に読んだヨガの本に「息を吐きつづけると、出しきったところで吸う息が自然に入る」というようなことが書いてあって、感心したことがあります。それを、なるほどなぁと実感してから、ぼくはまずは出しきろう、と考える体質になっています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


どんな言葉をつかって、どんな言葉をつかわないのか。

万人に共通する明確な基準が、あるわけではありません。


むずかしい問題です。

基準は人それぞれです。


だからこそ、むずかしく考えすぎてはなりません。

決して、まじめに考えすぎてはなりません。






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