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noteなんていつやめてもいい


2024年8月28日(水)朝の6:00になりました。

精神は、支えであることをやめるときにはじめて自由となる。

どうも、高倉大希です。




note なんて、いつやめてもいい。

これだけ書いておいて何ですが、このくらいの距離感が最適だと思っています。


note はあくまでも、生活のほんの一部です。

べつに note をやめたところで、とくに支障はありません。


もちろん、読んでくださる人の存在はありがたいなと思います。

書いていなければ会うこともなかったであろう人との出会いは、+α の恩恵です。


僕が言いたいのは、歴史も人間も複雑で、多面的だということです。そして、今この本を読んでくれているあなたの人生も、歴史の一部です。ということは、あなたの人生もまた単純には語れない多面的なものだということです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


いつやめてもいい。

これは、 SNSの強みです。


自分の都合だけではじめて、自分の都合だけでやめることができます。

note の記事を消すなんて、簡単な話です。


まわりの人からしてみれば、悲しいできごとなのかもしれません。

しかし、それがインターネットです。


さて、インターネットのディスプレイ画面を見つめている人は、根本的なところで孤独です。乱暴な言い方だということは承知していますが、こんな姿が孤独でないわけはありません。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


こんなことを書いていますが、べつに今すぐやめようというわけではありません。

むしろいつでもやめられるものだからこそ、継続の価値が生まれます。


インターネットの世界では、簡単に人がいなくなります。

仲良くしていたはずの人が、跡形もなく消え去ります。


いつやめてもいいインターネットで、いなくならない人になろう。

毎朝更新している理由のひとつは、ここにあるように思います。


インターネットという情報の海に埋没した学生部の頃、他者の作品は自分の表現の素材なのだという実感が芽生え、自分自身の表現も他者の創作の糧になりえると、自ずと考えるようになった。言葉を紡ぎ、表現を行うことで、世界や他者との関係が取り結ばれる。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


noteなんて、いつやめてもいい。

それでも、毎朝6:00に更新する。


このふたつは、併存します。

いやむしろ、いつやめてもいいからこそ書き続けられています。


それでは、また。

明日の朝6:00に、お会いしましょう。






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