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頭の外で考える


2024年8月17日(土)朝の6:00になりました。

意味の外へ連れてって、そのわからないを認めて。

どうも、高倉大希です。




わたしは、客観的に考えることが得意です。

わたしは、論理的に考えることが得意です。


自分は、できている。

そう思っている人ほど、厄介なものはありません。


もはやその考え自体が、客観性に欠けています。

もはやその考え自体が、論理性に欠けています。


いちばん危ないのが、客観性を手に入れたと思った時の意見の揺るがなさ(笑)。自分は客観的だと思っているから非常に厄介ですね。そう考えると、僕らが到達できるところは、せいぜい「客観的ではないかもしれない」と疑いをもつろことまでかもしれない。

為末大、今井むつみ(2023)「言葉、身体、学び」扶桑社


自分ひとりの頭で考えられることなんて、たかが知れています。

突然自分が世紀の大発見をすることなんて、まずありません。


もし大発見だと思ったならば、それはきっと時間帯の問題です。

いちど眠って目覚めたときに、もういちど考え直してみることをおすすめします。


わたしたちにできることはせいぜい、問いを抱えて生活を送ることくらいです。

頭の外にある生活を、検証の場としてつかうのです。


人が自分の頭のなかだけにある限られた知識と、因果関係の推論能力のみに頼っていたら、それほど優れた思考を生み出せないはずだ。人類が成功を収めたカギは、知識に囲まれた世界に生きていることにある。(中略)私たちは知識のコミュニティに生きている。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり」早川書房


伝わりやすい話し方って、どんな話し方なのだろう。

こんな問いをもって過ごせば、あらゆる人の話が教材になりえます。


べつに、話がうまい人に限ったことではありません。

話が下手な人だって、反面教師にするという意味では最高の教材です。


大切なのは、問いをもって過ごしているか否かです。

安易な答えに飛び付かず、もやもやとする問いをもち続けられるか否かです。


問題を抱えて頭の中にひきこもるんじゃなくて、問題のまなざしで自分を外に開いていくこと、そして観察や手作業や、あれこれ試してみること。あれこれあるのは、頭の中じゃない。頭の外に「ヘウレーカ」の呼び声を待つあれやこれやがある。そうしてぼくらは、頭の外で、考える。

野矢茂樹(2004)「はじめて考えるときのように」PHP研究所


知識と体験が重なったところに、「なるほどな」という感動が生まれます。

頭の中だけでうんうんと考えていても、一向にたどり着くことはできません。


意味の外へ連れてって、そのわからないを認めて。

何気なく聴きがちですが、星野源さんの詞にはときどきドキっとさせられます。


頭の外で、考える。

その、わからないを認めて。






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