後世のことなんて知ったこっちゃないと思っていた
2023年8月14日(月)朝の6:00になりました。
金を残して死ぬのは下だ。事業を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのが上だ。
どうも、高倉大希です。
何十年後にも、多くの人々に読まれる小説を書きたい。
作家たちは、こう言います。
何十年後にも、多くの人々に聴かれる曲をつくりたい。
音楽家たちは、こう言います。
いわゆる、作品の耐用年数というやつです。
つくり手たちは、後世になにを遺すかに焦点をあてているわけです。
つい最近まで、この感覚がまったくわかりませんでした。
なぜなら、死んだらおしまいだからです。
どれだけ偉大な作品をつくろうとも、どれだけ作品が長生きしようとも。
自分が死んでしまったら、すべてが終わってしまいます。
後世のことなんて、知ったこっちゃない。
ずっと、こう思っていました。
最近になって、あくまでもこれらは「自分」を中心に置いた場合の考え方でしかないということに気がつきました。
たしかに、自分ひとりの視点で考えれば、後世なんて知ったこっちゃありません。
寿命とともに、さようなら。
逃げ切りごめんで、おしまいです。
ところが、ここでひとつの問題に直面します。
それは、ひとり分の人生で一体どこまでのことができるんだという問題です。
ひとりでできることなんて、たかが知れています。
ひとり分の人生なんて、46億年の歴史から見ればちっぽけなものです。
そんな人生を、もうすでに数十年も進んできてしまっています。
のこされた時間は、驚くほどに短いわけです。
自分にしかできないことは、体調とともに停止します。
そして、寿命とともに失われます。
そんな小さな「自分」に、どこまでこだわる必要があるのか。
こう思うようになったのです。
子育ても、教育も、きっとこういうことなのだろうなと思います。
後世にどんなバトンをわたすのか。
のこされた時間は、驚くほどに短いわけです。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。