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何を善くして死ぬかを選ぶ


2024年8月14日(水)朝の6:00になりました。

さよならだけが人生だという言葉は、言わば私の処世訓である。

どうも、高倉大希です。




大きな駅を利用するたびに、世の中ってよくまわっているよなと思います。

そこに集まる人たちの目的は、てんでバラバラです。


これから出勤する人もいれば、登校する人もいます。

待ち合わせをしている人もいれば、電車を撮りに来た人もいます。


それぞれがまったく違うことをしているのに、この世の中はまわっています。

当たり前のようでいて、じつは結構すごいことなのかもしれません。


古代中国学者の落合淳思さんは、『殷』(中公新書)という本のあとがきで面白いことを書かれています。「私は若いころから、現代社会のいびつさに不満があった。これほどまでに文明が発達していながら、なぜ社会を合理化できないのかという疑問を持ち続けていた」。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


この世の中を、つくってきたのは人間です。

しかし、人間がこの世の中をコントロールできているわけではありません。


まったく異なる目的をもった人々が、駅に集まって散るように。

偶然に偶然が重なって、奇跡のようなバランスで、どうにか成立しています。


人間がつくった世の中なんて、地球の歴史からすれば刹那的です。

ほんの一瞬、奇跡的に、成り立っているに過ぎません。


自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。でも、社会が自分の外にあると思っているのは、ほかでもないその人だ。自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言ってることになるのだろう。

池田昌子(2003)「14歳からの哲学」トランスビュー


当然ですが、そんな世の中が、自分のためにまわっているわけではありません。

自分が生まれるずっと前から、この世の中はまわっています。


1日を24時間にしようという提案に、自分の考えは一切反映されていません。

エジソンが電球を発明した瞬間に、同席していたわけでもありません。


この世の中の多くは、自分がいないところで決まります。

すでに決まった約束ごとは、受け入れるしかありません。


そんな約束事、聞いたことがない。勝手に決めやがって。世の中のことは、ほぼそういうものなのです。約束事を決めるときに、自分は参加してなかった。それなのに、もう決まっているらしい。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


それでも中には、おかしくね?と思うことがいくつかあります。

おかしくね?と思ったことは、改善せねばなりません。


ところが、改善につかえる時間には、必ず上限があります。

誰しもが、命の終わりを迎えるわけです。


だからこそ、選ばなければなりません。

何を善くして死ぬのかを、選ばなければならないのです。






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