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800字よりも400字の方が難しい


2024年7月7日(日)朝の6:00になりました。

文章は短く、友情は長く。

どうも、高倉大希です。




文章を書くことは、辛くて面倒くさいこと。

子どもたちの多くは、きっとこう思っています。


原稿用紙1枚以上は、必ず書きなさい。

ワークシート10行以上は、必ず書きなさい。


指定された文字数に到達するために、どうにかこうにかマス目を埋めます。

マス目が埋まりさえすれば、その文章は完成です。


ぼくたちは読書感想文で、嘘をつく。作文のなかで、嘘をつく。それはもう、避けられないことだ。なぜ避けられないのか。学校の先生や友だちが読むからだ。それが評価の対象になっていて、評価を気にして書くからだ。

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


いかに言葉を引き伸ばすか、いかに思ってもいないことを連ねるか。

書くという行為が、ただマス目を埋めるためだけの作業と化してしまっています。


自分が書いた文章が、誰かに読まれる。

本来ならば、とてもドキドキすることです。


ちゃんとわかってもらえるだろうかと、何度も何度も読み返します。

マス目を埋めることが目的となった書き手には、このような緊張感がありません。


重要なことは、こちらが、なにかしら、ものすごい熱量で言いたいことがある。そのことだけは、分かってもらえる。なんとかして振り向かせたい。読んでもらいたい。文章の大家でもなく、有名でもないわたしたちの一行目は、そうした哀切な叫びであるべきだ。

近藤康太郎(2023)「三行で撃つ」CCCメディアハウス


何とかして読み手に、この思いを届けたい。

そう考えると文字数は、必然的に多くなります。


言い換えるなら、字数の上限が少ないほど難易度は高まるわけです。

800字でまとめることよりも、400字でまとめることの方が難しいはずなのです。


俳句や短歌や川柳は、字数制限の究極形です。

短いから簡単なのではなく、短いからこそ難しいのです。


書き手とは、大隊を率いて一度に1人しか通れないような狭いすき間を縦列進行させる司令官のようなものだ。一方、読み手は出口で軍隊を受け取り、その隊列を再び整えていかねばならない。題材がどんなに大きかろうが、またどのように扱われていようが、そのコミュニケーションの方法はこれひとつである。

バーバラ・ミント(1999)「考える技術・書く技術」ダイヤモンド社


書きたいことなんて、いくらでもあります。

書いた方がよいことも、いくらでもあります。


しかし、時間がありません。

だからこそ、選択しなければなりません。


書くことを、一生懸命に絞り出すのではありません。

書かないことを、一生懸命に切り捨てるのです。






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