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書いた時点で何かを否定している


2024年6月23日(日)朝の6:00になりました。

否定と出会うことが、出発点である。

どうも、高倉大希です。




自分の考えを、否定された。

自分の経験を、否定された。


SNSの普及によって、わたしたちは否定に敏感になりました。

もちろん、人を傷つけることを目的とした否定は糾弾されて然るべきです。


一方で、否定する行為そのものが悪だと思ってはなりません。

否定がなければ、ものごとは前に進まなくなるからです。


「僕らの仕事はね、時には自己否定することなんです」いままで正しいと思ってきたことも、もしかしたら間違っているかもしれない。(中略)常に考え続けることが大事だし、自分自身を否定してみることも重要だと伝えたんですね。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


短い鉛筆を見て「短い」と思えるのは、長い鉛筆の存在を知っているからです。

相対化することで、はじめて判断することができるようになります。


いやいや、AじゃなくてBじゃない?

え、それってなんだかおかしくない?


実際に、自分の考えを否定されたときほど思考を巡らせることになるはずです。

その先でどうするのかは、また別の話です。


人間は、絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内時計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。

ダン・アリエリー(2013)「予想どおりに不合理」早川書房


否定的な意見に納得して、自分の考えを変えるのもひとつです。

否定的な意見をさらに否定して、自分の考えを貫き通すのもひとつです。


どうにも、前者が悪で後者が善だと思われがちです。

あくまで両方とも、否定があったからこそ得られたただの結果にすぎません。


大事なのは、否定を受け止めて改めて考えてみるという行為そのものです。

否定とは、再考するきっかけを与えてくれるものなのです。


どこまでも続いていくのが対話の本質であって、別の言いかたをすると、ずっと発言の訂正が続いていく。それが他者がいるということであり、対話ということなんだとバフチンは主張しているわけです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


そのためにも、レベルの高い否定ができるようにならねばなりません。

それと同時に、レベルの低い否定を間に受けないスキルも重要になります。


どうしても我々は、自分にとって都合がよいかどうかで振り分けがちです。

くり返しになりますが、否定する行為そのものが悪だと思ってはなりません。


何も否定したくないのなら、表現することは不可能です。

表現から生じた否定によって、思考が動き出したならそれだけで万々歳です。






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