見出し画像

怪我はいつだって想像以上に痛い


2024年1月20日(土)朝の6:00になりました。

マキノさんから全部聞いたぞ、おれ達のために戦ってくれたんだな。

どうも、高倉大希です。




先日、久しぶりにすり傷をしました。

左の手首の近くです。


勢いよく手を振り下ろしたときに、壁に擦ってしまいました。

大した怪我ではありません。


水で洗えばもはや、傷なんてないのではないかと思うくらいの小さな傷です。

ほかの人が見たときに「大丈夫?」とすら聞かないような、小さな傷です。


数人で海に行く機会があると、その中の誰かに必ず云われる言葉がある。「海が似合いませんね」ええ、まあ、と曖昧に微笑みながら、内心は傷ついている。ああ、また云われちゃったよ。

穂村弘(2023)「蛸足ノート」中央公論新社


怪我をしたときは、毎回のように思います。

あれ、怪我ってこんなに痛かったっけ?



風邪をひくときもおなじです。

元気なときは、風邪なんて余裕でしょと思っています。


しかし、いざ風邪をひいてみると毎回こう思います。

あれ、風邪ってこんなに辛かったっけ?


ほどほどに長く生きていると、おいおいと泣くことでしか越えられない夜がどうしてもある。ただし、おいおいと泣く場所さえあれば、人はどーにか朝を迎えられる気がしている。

燃え殻(2023)「ブルーハワイ」新潮社


怪我をしたことなんて、何百回もあるはずなのに。

風邪をひいたことなんて、何百回もあるはずなのに。


なぜだか忘れてしまいます。

すり傷なんて、風邪なんて、大したことないでしょと本気で思ってしまうのです。


その度に、人の記憶なんてそんなものなのだろうなと思います。

自分のことですら、簡単に忘れてしまうのです。


『頑張りました』は敗者の戯言やということを忘れたらアカン。どんなに一生懸命やったとしても、結果が出ない頑張りはムダや。

かさはらあつし(2023)「ピーナッツ一粒ですべてを変える」集英社


自分のことでさえ、まったくもってわかりません。

身体の一部につく傷の痛みさえ、簡単に忘れてしまいます。


だからこそ、他者のことなんてわかるわけがありません。

自分とは違う身体をもち、自分とは違う人生を送ってきた人たちです。


それにも関わらず、わたしたちはなぜだか他者をわかると思ってしまいます。

冷静に考えると、ずいぶんとおかしな話なのです。


対話に挑むことを別な言い方をするならば、それは組織の中で「誇り高く生きること」です。つまり、成し遂げられていない理想を失わずに生きること、もっと言うならば、常に自らの理想に対して現実が未完であることを受け入れる生き方を選択することです。

宇田川元一(2019)『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論」株式会社ニューズピックス


怪我も、風邪も、二日酔いとよく似ています。

余裕だとおもっていたら、後から大きなダメージがやってきます。


今日は、二日酔いの日です。

このあたりで、ご勘弁ください。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。