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お金がないと遊べない、お酒がないと語れない


2024年3月26日(火)朝の6:00になりました。

塀を塗るなんて、俺たち子どもが毎日やらせてもらえることじゃないだろう?

どうも、高倉大希です。




いつの間に、お金がないと遊べなくなったのだろう。

中学生になってから、ふとこう思う瞬間がありました。


小学生のころなんて、お金がなくても十分に楽しめました。

約束なんてしなくても、公園に行けば誰かがいます。


何も持って行かなくてたって、遊びがすでにはじまっています。

いつの間に、お金がないと遊べなくなったのだろう。


これらの問題を難しくする一番の原因は、お金を中心に経済を考えていることだ。人を中心に考えると、ずっとシンプルに、直感的になる。「誰が働いて、誰が幸せになるのか」に注目するだけだからだ。

田内学(2021)「お金のむこうに人がいる」ダイヤモンド社


いつの間に、お酒がないと語れなくなったのだろう。

社会人になってから、ふとこう思う瞬間がありました。


学生のころなんて、お酒がなくても十分に楽しめました。

乾杯なんてしなくても、学校に行けば誰かがいます。


何も飲んでいなくたって、語らいがすでにはじまっています。

いつの間に、お酒がないと語れなくなったのだろう。


現実のつまらなさを、一瞬でも忘れさせてくれる希望は、人には本来欠かせないはずだ。全部だめで、なにひとつ希望が叶わなかったとしても、友と一緒に酒を飲んで笑い話にすればいい。そのために友がいる。

燃え殻(2023)「ブルーハワイ」新潮社


正確に言うならば、べつに遊べなくなったわけではありません。

正確に言うならば、べつに語れなくなったわけではありません。


お金をつかうことと遊ぶことを、勝手に結びつけるようになっただけです。

お酒を飲むことと語らうことを、勝手に結びつけるようになっただけです。


そのせいで、お金をつかわないことが遊ぶことではなくなりました。

そのせいで、お酒を飲まない場が語らう場ではなくなりました。


その休み時間には遊んでよい、というきまりをつくってしまったことに端を発している。それ以来、学ぶ(勉強する)ときは遊ばないし、遊ぶ時は、勉強から解放される、ということで、遊びと学びは真っ二つにわかれてしまった。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


1ヶ月ほど前から、「20分のはじめまして」という企画を実施しています。

Xのスペース機能を用いて、はじめましての方と20分だけお話をする企画です。


お金もかからなければ、お酒も飲みません。

どれだけ盛りあがろうがどれだけ気まずくなろうが、20分でおしまいです。


いちど話したことがあるという事実が、どれだけ大きいことか。

ご興味のある方は、ぜひXのDMにご一報ください。






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