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自分の頭で考えられることなんて


2024年3月10日(日)朝の6:00になりました。

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ。

どうも、高倉大希です。




先人の知恵を活用しないのは、さすがにもったいない。

昔からずっと、こう思っています。


人は成長と共にたくさんの経験を積み、さまざまな知識を蓄えます。

しかし、そこから生まれてくる赤ちゃんにはまったく反映されません。


基本的に赤ちゃんは、何も知らないゼロの状態で生まれてきます。

ゼロから経験を積み、また同じように知識を蓄えていくのです。


知ることの本質について、私はよく学生に、「自分ががんの告知をされたときのことを考えてみなさい」と言っていました。「あなたがんですよ」と言われるのも、本人にしてみれば知ることです。「あなた、がんですよ。せいぜい保って半年です」と言われたら、どうなるか。宣告され、それを納得した瞬間から、自分が変わります。世界がそれまでとは違って見えます。でも世界が変わったのではなく、見ている自分が変わったんです。つまり、知るとは、自分が変わることなのです。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


自分の頭というものは、一時的に知識を保管する場所でしかありません。

しかもそこには上限があるので、すべての知識を蓄えることなど不可能です。


言い方を変えるなら、自分の頭で考えられることなんてたかが知れているということです。

ましてや、先人たちが過去に同じことを考えていないわけがありません。


だからこそ、先人の知恵を活用しないのはどう考えてももったいないのです。

知識なんて、みんなで共有してなんぼのものだというわけです。


人が自分の頭のなかだけにある限られた知識と、因果関係の推論能力のみに頼っていたら、それほど優れた思考を生み出せないはずだ。人類が成功を収めたカギは、知識に囲まれた世界に生きていることにある。知識が私たちに作るモノ、身体や労働環境、そして他の人々のなかにある。私たちは知識のコミュニティに生きている。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり 無知の科学」早川書房


大切なのは、知識を蓄えることではありません。

共有された知識に、アクセスできるポジションをとり続けることです。


もはや、わざわざポジションをとらなくてもアクセスできる時代になりました。

世界中の先人たちの知恵が、すぐに触れられる距離にあるわけです。


自分だけの考えがどうのこうのだなんて、言っている場合ではありません。

知らないという事実を自覚して、謙虚に、かつ強かに。






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