登壇者が神格化される気持ちのわるさ
2023年8月24日(木)朝の6:00になりました。
知性を神格化しないよう、十分に注意しなければなりません。
どうも、高倉大希です。
講演を聴くことは好きですが、講演会という場はちょっとだけ苦手です。
登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じるからです。
本来ならば、その話を聴いてどう感じるかは人によって違います。
納得する人もいれば、違和感を抱く人もいて当然です。
ところが、講演会という場では「YES」と応えることが前提にあります。
話の内容に限らず、はじめから「YES」と決まっているのです。
話す側には、なんの責任もありません。
なんなら、そういう場であることを前提にお話しされているのだと思います。
気持ちのわるさの原因は、やはり聴く側にあります。
大したことのない話でも、首がとれそうなほどに頷いて聴いているのです。
ミュージシャンのライブでも、近しいものを感じます。
こうやってノることが正解だ、と言わんばかりの空気がその場に充満しています。
最近、「ほぼ日の學校」というサブスクに加入しました。
様々な分野で活躍する人の、講演や対談を視聴することができるサービスです。
毎日1コンテンツずつ視聴しているのですが、まさに講演のよいところどりです。
登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じることがありません。
画面の向こうにいる登壇者と、ひとりの人間として対峙することができます。
登壇者も視聴者も、おなじひとりの人間です。
そういう意味でも、すごいと思われている人って大変なのだろうなと思います。
おなじ人間と出会っても、相手はおなじ人間だと思ってくれません。
妙にへりくだられて、妙に持ち上げられて。
あなたという人間と、対峙することができないわけです。
サインとか、握手とか。
神格化されてしまう側も、きっと苦労しています。
この人が、車の助手席で話してくれたらよいのにな。
講演会を聴きながら、いつもこう思います。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。