見出し画像

登壇者が神格化される気持ちのわるさ


2023年8月24日(木)朝の6:00になりました。

知性を神格化しないよう、十分に注意しなければなりません。

どうも、高倉大希です。




講演を聴くことは好きですが、講演会という場はちょっとだけ苦手です。

登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じるからです。


本来ならば、その話を聴いてどう感じるかは人によって違います。

納得する人もいれば、違和感を抱く人もいて当然です。


ところが、講演会という場では「YES」と応えることが前提にあります。

話の内容に限らず、はじめから「YES」と決まっているのです。


「人」を疑うのではなく、「コト」を疑うのです。この「人」と「コト」を分けて考える習慣をつけておきましょう。

瀧本哲史(2016)「ミライの授業」講談社


話す側には、なんの責任もありません。

なんなら、そういう場であることを前提にお話しされているのだと思います。


気持ちのわるさの原因は、やはり聴く側にあります。

大したことのない話でも、首がとれそうなほどに頷いて聴いているのです。


ミュージシャンのライブでも、近しいものを感じます。

こうやってノることが正解だ、と言わんばかりの空気がその場に充満しています。


愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、前章の最後に述べた、他者を経由した自己肯定の状態である。

平野啓一郎(2012)「私とは何か」講談社


最近、「ほぼ日の學校」というサブスクに加入しました。

様々な分野で活躍する人の、講演や対談を視聴することができるサービスです。


毎日1コンテンツずつ視聴しているのですが、まさに講演のよいところどりです。

登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じることがありません。


画面の向こうにいる登壇者と、ひとりの人間として対峙することができます。

登壇者も視聴者も、おなじひとりの人間です。


服装・頭髪規定を全廃したことより、なによりも、言葉が通じる先生がいることが衝撃だったのです。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


そういう意味でも、すごいと思われている人って大変なのだろうなと思います。

おなじ人間と出会っても、相手はおなじ人間だと思ってくれません。


妙にへりくだられて、妙に持ち上げられて。

あなたという人間と、対峙することができないわけです。


サインとか、握手とか。

神格化されてしまう側も、きっと苦労しています。


わたしたちが<自由>になるための最大の条件。それは、<自由の相互承認>の感度を身につけているということなのです。学校は、この感度をはぐくむためにこそ存在しているのです。

苫野一徳(2013)「勉強するのは何のため?」日本評論社


この人が、車の助手席で話してくれたらよいのにな。

講演会を聴きながら、いつもこう思います。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。