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映画レビュー

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親愛なるテオ・アンゲロプロス

親愛なるテオ・アンゲロプロス

 親愛なるテオ・アンゲロプロス
 今日1月24日は、あなたが13年前、交通事故で亡くなられた日です。あなたは「20世紀三部作」の第三部に当たる新作映画『THE OTHER SEA』を撮影中でした。あなたの映画が大好きだった私は、次はどんな映画なのかしら、とわくわくしていました。突然の訃報に、あなたの新作はもう観られないのか、と愕然としたのを覚えています。

 「20世紀三部作」の第一作『エレニの旅

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二人のイエス―映画『華岡青洲の妻』

二人のイエス―映画『華岡青洲の妻』


Ⅰ ジャスミン眞理子さんの映画紹介を読む ジャスミン眞理子さんの、増村保造監督の映画『華岡青洲の妻』(1967)の紹介文を読む。原作は、有吉佐和子。

 私は、キリスト教文化圏で生まれた映画は、イエス・キリストのごとき存在を描くことが不可避であると考えている。さらに、原作者の有吉佐和子は、光塩高女(現在の光塩女子学院)在籍中に受洗しており、カソリック教徒だったという。
 キリスト教徒であった有吉

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秘書のイエス―小津安二郎『麦秋』

秘書のイエス―小津安二郎『麦秋』


はじめに 小津安二郎は、トーマス・H・インスの『シヴィリゼーション』を観て、映画監督を志した。伯爵の肉体にキリストの魂が宿り、反戦を訴えるさまを描いており、いわば公的領域におけるイエスが登場した。 

 小津は、サイレントの『生れてはみたけれど』(1932)以来、私的領域におけるイエスというべき存在を描き続けて来た。前回、紀子三部作の第一作となる『晩春』(1949)を考察した。父の周吉は妻亡き後

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少年のイエス―ルネ・クレマン『禁じられた遊び』

少年のイエス―ルネ・クレマン『禁じられた遊び』


はじめに ジャスミン眞理子さんが、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』(1958)をご紹介くださった。そのときに、ルネ・クレマンの『禁じられた遊び』(1952)でミシェル少年を演じたジョルジュ・プージュリーが『死刑台』に出演していると書いておられた。『禁じられた遊び』と『死刑台のエレベーター』をひとつの線で結べないかしら、と思い、大昔に観た本作を見直すことにした。

 かつて観たときの感想は、以

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大学教授のイエス?―小津安二郎『晩春』

大学教授のイエス?―小津安二郎『晩春』


はじめに
 小津安二郎は、公的領域におけるイエスを描いた『シヴィリゼーション』(1916)を観て映画監督を志したということを起点に、これまで『生れてはみたけれど』(1932)に始まる、彼の代表的な作品を考察して来た。小津作品の特徴は、私的領域におけるイエスを描いているところにある。
 本稿では、1949年の『晩春』を取り上げ、以下の二点について考察する。第一に、私的領域におけるイエスがどのように

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元中学教師のイエス―小津安二郎『父ありき』

元中学教師のイエス―小津安二郎『父ありき』


はじめに これまで、小津安二郎は、公的領域におけるイエスを描いた『シヴィリゼーション』を観て監督を志したということを前提に、小津作品を年代順に考察して来た。小津作品の特徴は、私的領域におけるイエスを描いているというところにある。今回は、1942年の『父ありき』について、考察したい。 

Ⅰ 『出来ごころ』・『一人息子』との共通点と相違点 『父ありき』で描かれるのは、『出来ごころ』(1933)と同

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次男のイエス、三女のイエス―小津安二郎『戸田家の兄妹』

次男のイエス、三女のイエス―小津安二郎『戸田家の兄妹』


はじめに
 小津安二郎はトーマス・H・インス『シヴィリゼーション』を観て映画監督を志した。『シヴィリゼーション』は、イエス・キリストが登場した初の映画であり、反戦を訴える、公的領域におけるイエスを描いていた。  
 一方、小津は、『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)、『出来ごころ』(1933)、『一人息子』(1936)に見られるように、私的領域におけるイエスとでもいうべき人物を描き

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真のチャンピオンは誰か―キング・ヴィダー『チャンプ』

真のチャンピオンは誰か―キング・ヴィダー『チャンプ』


Ⅰ キング・ヴィダー『チャンプ』から、小津安二郎『出来ごころ』へ
 1 父子家庭という設定

 小津安二郎『出来ごころ』(1933)が、1931年のキング・ヴィダーの『チャンプ』にインスパイアされて作られたと知り、鑑賞した。『チャンプ』は、1979年にフランコ・ゼフィレッリによってリメイクされており、こちらの方がみなさんには馴染みがあるかもしれない。

 『チャンプ』は、元ヘビー級チャンピオンの

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女工のイエス、夜学教師のイエス―小津安二郎『一人息子』

女工のイエス、夜学教師のイエス―小津安二郎『一人息子』


Ⅰ 『出来ごころ』から『一人息子』へ 1933年の『出来ごころ』から3年後に公開された、『一人息子』は、小津安二郎初のトーキー映画である。

 サイレントかトーキーか、という決定的な違いこそあるが、二作品は親一人子一人の貧しい家庭を描いている点が共通している。

 『出来ごころ』では、東京の下町の工場労働者の父と小学生の息子を描いていた。『一人息子』は、信州の製糸場の女工と息子を描く。『出来ごこ

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長屋のイエス―小津安二郎『出来ごころ』

長屋のイエス―小津安二郎『出来ごころ』


はじめに
 小津安二郎のサイレント期を代表する傑作といわれる『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)では、子供たちへの無償の愛―アガペー―ゆえに自己犠牲を払う父親の姿が描かれていた。子供たちのために献身する父親は、私的領域におけるイエスとでもいうべき存在であった。

 本稿ではまず、小津が映画監督を志すきっかけとなった映画『シヴィリゼーション』(1916)について考察する。そのうえで、

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映画『オペラ座の怪人』が描く愛

映画『オペラ座の怪人』が描く愛



Ⅰ 怪人とラウルのエロース 
 lee・g ・changさんが、2004年のジョエル・シュマッカーの映画『オペラ座の怪人』について書いていらした。昔、テレビ放映されたのを観たような気がするけれど、どんなだったかしら、と思い、再見した。

 『オペラ座の怪人』が、ヒロインのクリスティーヌを巡る、怪人とラウル(予告編の42秒ぐらいで、「狂人と化した天才だ」と発言しています)の三角関係を描いており、

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サラリーマンのイエス―小津安二郎『生れてはみたけれど』

サラリーマンのイエス―小津安二郎『生れてはみたけれど』


はじめに 小津安二郎の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)は、小津のサイレント期を代表する傑作で、資本主義社会における、資本家と労働者、持てる者と持たざる者を対比し、持たざる者である労働者の悲哀を子供の目を通して描いている。
 本稿は、映画を分析することで、以下の、二つのことを目指す。第一に、子供たちが繰り返し行っているゲームに着目し、そのゲームが持つ意味を明らかにする。第二に、サ

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父たちを乗り越えて―トッド・ヘインズ『キャロル』 その2

父たちを乗り越えて―トッド・ヘインズ『キャロル』 その2


はじめに 前回のレビューでは、『キャロル』という映画のタイトルから、ヒロイン二人がイエスとして誕生し、死に、復活するさまを描いた映画であると述べた。今回は、『キャロル」がどのような映画のオマージュとなっているか、を指摘し、それをもとに監督であるトッド・ヘインズが何を目指したか、を考えていきたい。

Ⅰ オードリー・ヘップバーンへ1 ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』

 映画は1953年の春の

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ニューヨークのイエス―トッド・ヘインズ『キャロル』 その1

ニューヨークのイエス―トッド・ヘインズ『キャロル』 その1



Ⅰ 始まり 列車が軋みながら、ホームに滑り込む音が聞こえてくる。続いて、キャメラは高くそびえる鉄条網のようなものを写し出す。映画は、ナチスの強制収容所にユダヤ人を乗せた列車が到着したことを思わせるシーンから始まる。
 ナチスはユダヤ人のみならず、同性愛者も迫害の対象としていた。映画のタイトル『キャロル』は、結婚して娘をもうけてはいるものの、同性を愛する女性キャロル・エアード(ケイト・ブランシェ

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