ツッチィー

自分で創るエンターティメントの世界を皆さんにお届け出来るよう 楽しみにしてください。

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自己紹介テンプレート

ツッチィー SNSアカウント 趣味、好きなこと 今の仕事、今取り組んでいること ショートショート、エンタメになるなら何でも ※ 追加項目 基本の項目に加えて、自分のことをより深く知ってもらえるような質問を用意しました。以下の質問の中から書きやすい質問に答えてみましょう! ・休みの日はどんなことをしていますか? ・ここ数年の生活での変化を教えてください。 ・最近ハマっていることは何ですか? ・地元のおすすめフードをひとつ紹介してください。 ・好きなスポーツを教えて

    • スクラッチ

      巨大スクリーンから流れるCMの音と巨大なトラックで大音量を流しながら広告して回るトラックの音が聞こえる。  スクランブル交差点に立つと外国人観光客であふれている。  黒沢慎二、35歳、シュレックでWEBエンジニアとして働いている。  改札を抜けて、黒沢は部下の斎藤とクライアントのはなまるドラッグへ向かおうとして  途中、何か蹴っ飛ばしてしまった。 「痛えっ」 「黒沢さんどうしたんですか? 」 「なんか蹴っ飛ばしちゃったよ」  足の痛みもそこそこに、何か探していた。 「なんだこ

      • ラッキード・RPG

        これは新車を購入してクラクションが気に入らなかった男のはなしである。  これまで乗り続けてきた外車を辞めて、国産に乗り換えてみた。  実は車検や燃費の事を考えての結論だ。  外車はパワーがあってハンドルを握っていると実に気分がいいものであっ た。  若い頃、国産の大衆車に乗っていると随分あおられたものであった。  それに、B○●やベ△△にはウィンカーも無しに割り込みなんてしょっ中。  余りに煽られるので外車にする事にした。  すると、運転していると分かるが周りが勝手に避けるよ

        • 恩師

           中学二年のクラス替えで、渡部先生と言う女性が担任となっ た。  先生は既に五十代後半を迎えており、自分たちは彼女が最後に 受け持ったクラスでもあった。  先生は必ず朝のホームルームになると諺を一つ教えてく れた。 「一時が万事」  わずか一つの物事から、他のすべてのことを推し量ることがで きるの意。 から始まり、当時の中学生には何の事か理解出来ずにいた。  だが先生はそんな自分たちにも、どんなシチュエーションで使 われるかを分かりやすく説いてくれた。  他にも「衣食足りて礼

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          うちの子ジョニー

          今日が二月二十二日ねこの日だと言うことをすっかり忘れていた。  我が家にもジョニーがいた。  虹の橋を渡って四年の月日が過ぎていた。  その死に際から旅立った頃について思い出してみた。  ジョニーがだんだんと弱ってきている。  ウチにきて15年目の事である。  先週の日曜に近所の犬猫病院に連れて行った。  腎臓の機能がかなり弱ってきており、脱水症状が進行していた。  ここ1年ぐらい痩せてきたのが気になっていた。  処方されたクスリを注射器で経口投与してあげていたが、それも効

          うちの子ジョニー

          さよならバックホーム

          「焼き鳥を焼く香ばしいにおいがする。  軟骨のコリコリした歯ごたえを、ホッピーで流し込む。 店の名は鳥正。  会社帰りに通っている。  東京に来て三十年、話すネタが若い頃の失敗や、野球部で猛練習に明け暮れた日々についてだ。  マスターも昔、甲子園に出たとかで、その後、社会人で活躍したが、脱サラし、都内の有名店で修業をしてから、今の店を持ったらしい。  話し方やお客さんのあしらい方が上手いのか、ここはマスター会いたさに来る客でいつも繁盛していた。  ある時、常連の北村が俺の隣で

          さよならバックホーム

          カウント8で起て

          この男の名は片桐丈一。 幼い頃、父親が多額の借金を作ったまま蒸発し、母親と貧しい暮らしを強いられていた。 彼は少しでも家計の足しになればと毎朝、新聞配達をしながら学校に通っていた。  そのくせケンカが滅法、強かった。  放課後や駅前で理不尽な目にあっている下級生を不良達から守ってあげていた。  中学を卒業する頃、経済的な理由で進学はとうにあきらめていた。  そんなある日、職探しのつもりで街中を歩いていたらボクシングジムの練習風景が目に留まった。  あまりに見入っているものだか

          カウント8で起て

          シュラバラバンバⅡ

          「啓介くん申し訳ない。ウチのバカ娘がとんでもない事をしでかした。」 義父は最初、事情が呑み込めていなかったが、娘の口から浮気していた事を聞かされた途端、両親共々、俺に土下座して謝ってきた。 俺は妻と二人暮らしで結婚三年目である。 ここ二年、妻は多忙を理由に帰りが遅くなり、家事も疎かになり夜の夫婦生活がほぼ無くなっていた。 暇さえあればスマホをいじっては 「アタシも疲れているんだから貴方もガマンしてよ」 とまで言い出す始末であった。 付き合って間もない頃はこんな女ではなかったの

          シュラバラバンバⅡ

          1983年夏・あの頃に戻りたい

          午前八時十分、池袋駅六番線に山手線内回りの発車メロディーが鳴り響く。 高田は新宿へ向かっていた。 母校の甲子園初出場が決まったので当時の監督であった立花からのご指名で後援会の立上げを打診されていた。 OB会の会長からの依頼に多少迷いがあった。 「俺に務まるかな?」  そこで高校時代からの大親友の山本に相談することにした。 結婚式以来だから二十年ぶりである。 新宿西口の彼の会社で待ち合わせすることとなり、山手線から見える車窓を見ながら、自分があのとき打たれたシーンがフラッシュバ

          1983年夏・あの頃に戻りたい

          雨の宮益坂

           あれから三年、雨の日の出来事だった。  コロナの中、緊急事態宣言が続いていた。  高山は、山手線で渋谷へ向かっている。  リモートワークが進んで彼の会社もZOOMを使って顧客と営業をしている。  それでも肝心な場合は訪問せざるを得ない時がある。  正に今日がその日であった。  駅を降りると急に雨が降りだしてきた。  アポが十時だったので目的を果たすとそのまま会社へ戻ろうかと考えていたが、  思いのほか、商談が長引き昼近くになっていた。  宮益坂の途中で喫茶店でも入ろうかと店

          お世話になりました・麻布編

          上京した頃働いていた会社が西麻布にあった。 自分がいた頃は大手自動車メーカーの電装部費品 を扱っていた。 一緒に商品の発送を手伝っていたおじさん達に聞 くと、朝鮮戦争やベトナム戦争の時には相当儲け たらしい。 給料が月に2回もあったらしくトラック関係の部 品やプラグが飛ぶように売れ、それこそ高度経済 成長期の思い出を語ってくれた。 本当か知らないが、社長が戦後腰に蹄鉄型の磁石 をぶら下げては鉄クズを拾い集めては売り歩いて 、 それを元手に会社を興したなんて

          お世話になりました・麻布編

          銀座の思い出・上京編2

          昼間の仕事が終わって、バイト先に向かう。 夜の世界に入り込む事に何のためらいも感 じていなかった。 お金が欲しかったので、稼げばいいじゃな いかと。 シンプルである。 今でこそ、いろんな副業がネットで稼げる 時代に変わってきたが、あの頃はそんな便 利なモノはなかった。 あるのは若さと時間だけである。 大学に行っていれば、もっと割のいいバイ ト先も紹介してもらえただろうが、自分に はそんな伝手もなかった。 もっぱら、ウェイターの仕事はお客さんが 来た

          銀座の思い出・上京編2

          銀座の思い出・上京編

          十八で上京して間もない頃のハナシである。 最初の会社は自分にとって良い会社であった。 クルマ関係の仕事でそれなりに経験と知識を 必要とされる仕事だった。 嫌いなわけではなかったが、都会で暮らすに はお金がかかることを認識していなかった。 母親からもらった支度金10万は1カ月であっ という間に使い果たして、初めての給料をも らった時はガク然とした。 求人の案内では12、3万程度の手取りと期 待していた。 それが7万だった。 この年になるから言えるが、高校

          銀座の思い出・上京編

          新・奇跡の男・アイアンマン

          病院の待合である。 ひさびさに、なつかしい顔をみかけた。 あの、奇跡の男アイアンマンである。 おもわず駆け寄ってあいさつもそこそこに。 「お元気でしたか」と声をかけた。 スキンヘッドの風貌に独特のだみ声にほっとした。 随分と活気に満ち溢れた姿である。 退院もそこそこに、既に仕事をしているそうで。 今で言うところのテレワークらしく、職場から書類の山を持ち込まれて ひたすら処理しまくりかと思えば、二日がかりのところをわずか一日で こなしたそうだ。 現場監督を

          新・奇跡の男・アイアンマン

          続・奇跡の男・アイアンマン

          死の淵から生還を遂げた、奇跡の男・アイアンマン。 左鎖骨が砕け、両肩の肩甲骨もひび割れながらも 手術によって数本のホルトを入れられながらも、 1ヶ月に渡りICUにいながら砕けた鎖骨が自然 治癒するほどの回復を見せ、今度は自己の防衛反 応というか、埋められたボルトが肩から飛び出し てくるというスゴイハナシも聞かされた。 その昔、格闘家でもあったらしく体力には相当な 自信があるらしい。 本人曰く、一度死んだ訳だから、せっかくいただ いた命を粗末に扱うわけにはい

          続・奇跡の男・アイアンマン

          奇跡の男・アイアンマン

          某病院とだけ申しておきますが、8人部屋という 格安の病室におりました。 そこで、たまたま隣り合わせた奇跡の男について ご紹介させてもらいます。 ワタシが入院して、1週間が過ぎた頃にその方が 入ってこられた。 元々、ある建設現場にて事故に遭われて瀕死の重 傷を負い救急搬送されてきたらしいと聞かされた。 当然、そんな状態から今の病室に移るまではIC Uに1ヶ月近くいたようであった。 一見するとスキンヘッドでコワモテの印象なのだ が、話を伺うとエピソードの塊りと言うぐらい

          奇跡の男・アイアンマン