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最後の手紙
朝礼が終わって得意先回りに行こうとした矢先、恵介は社長の田川に呼び止められた。
「仕事帰りに、時間が空いていたら俺と付き合え 」
「はい、わかりました 」
彼は社長から誘われる理由が分からないまま返事をしていた。
月末の五十日で忙しかった。
彼が会社に戻ったのは夜の八時過ぎだった。
社長はなぜか満面の笑顔で待っていた。
「いつもこんな時間までありがとうね 」
「お疲れ様です。僕に出来るのは、こんな事ぐらいですから大丈夫ですよ 」
「たまには君の働き振りに感謝しなきゃいかんね 」
「これから一杯つきあってくれるよな 」
そう言って社長の行きつけの小料理屋へ誘われた。
店の名は「憩い」である。
カウンターに五、六人座れば満席だった。
大皿料理で女将さんの手料理が十品ほど並び、どれも旨そうだ。
「ビールでいいか 」
先に社長から注いでもらい乾杯をした。
「ところで、お前今付き合っている女性いるか? 」
村田恵介、独身で三十歳。
唐突に聞かれ一瞬、慌てた。
「実はいないんですよ 」
「そうか、やっぱりそうかと思っていたよ 」
「休みは何をして過ごしている? 」
「近所の商店街でパチンコするか、映画でも見に行ってますが 」
「お前、普段から酒もタバコもやらないから仕事ばっかりで他に楽しみを持っているのか皆気にしているんだよ 」
「そうなんですか? 」
「自分なんか高卒で仕事しか能の無い男ですよ 」
「そんなこと無いぞ 」
「本当はお前みたいに、文句一つ言わず黙々と仕事している姿を見て、誰かいい子を紹介してあげようと思っているぞ! 」
「イヤあそれ聞いて嬉しいですよ 」
「俺もそう思ってここに連れてきたのさ 」
「えっ! 」
「ほらっ。目の前にいるだろ 」
カウンターの中に女将ともう一人女性がいた。
恐らくアルバイトの女子大生かと思った。
「紹介するよ。純子ちゃんだよ 」
「初めまして、純子です 」
ショートカットが似合う顔立ちである。
「こちらこそ、初めまして。恵介です 」
少しはにかんでしまった。
「この子、女将さんの娘なんだよ 」
「そう言えば似てますね 」
「そうだろ!美人だろ? 」
「貴方の事、少し伺っていたの。どんな人を連れてくるか楽しみだったの 」
「社長ってここの常連なんですよ。取引先の人をよく連れてこられるんで店も助かってるんですよ 」
「そうだったんですか 」
女将はそんな会話中も無言であった。
店に来た時から恵介の事を値踏みでもしているのだろう。
突然、女将が話しかけてきた。
「あなた出身はどちら? 」
「北海道は十勝です 」
「あらそう。十勝って小豆やじゃがいもに、たまねぎが有名ね! 」
「そうなんです 」
「女将さんも北海道に知り合いの方でもいるんですか? 」
「いるわよ。ここのお客さんにも北海道の方よく見えるんだから 」
「詳しくて当然ですね 」
彼も営業トークを交えているが社長の紹介で訪れた店で失礼の無いよう話題に興じていた。
社長もかなりご機嫌なようで酒のペースが進んでいた。
「どうだい、気に入ってくれたかい? 」
「お前もたまには店に顔を出すようにしてくれよな 」
「はい。喜んで 」
それから彼は一人で店に顔を出すようになった。
週一であったが田舎に仕送りしている彼の手取りを考えれば当然であった。
いつも常連で賑わうのだが、カウンターの隅が指定席となっていた。
会話の内容は仕事の話が殆どで聞き上手な女将さんのせいもあって次第に話題も豊富になっていた。
店に通い出して半年が過ぎた頃、彼は純子をデートに誘ってみた。
彼女の返事はもちろんOKだった。
週末の土曜の午後である。
場所は新宿東口、紀伊国屋書店前で待ち合わせ。
「おはよう 」
「時間ピッタリだね! 」
「今日は恵介さんのためにオシャレしてきのよ 」
ベージュのワンピースがよく似合っていた。
「とても素敵だよ 」
彼女はニヤッと微笑んだ。
ショートカットが似合うその顔がなんとも眩しく見えた。
東口周辺は相変わらずの賑わいぶりであった。
二人は手をつないで歩き始めた。
と、その矢先に
「ドスン!」
と何かに当たった。
彼女が子供にぶつかっていた。
「ゴメンナサイ 」
五歳ぐらいの男の子だろうか、外国人の家族連れであった。
「大丈夫?痛く無かった? 」
優しく声をかけてあげる。
そんな彼女の仕草が何とも愛おしく見えた。
喫茶店に入り、映画が始まるまで色んな事を話した。
仕事の事、家族の事、それから東京に出てきた頃の話と思いつくまま、彼女は彼の話に耳を傾けてくれた。
映画館を出て、恵介が彼女に話しかけた。
「食事にする? 」
コクンと彼女が頷く。
店は取引先である洋食屋を予約しておいた。
老舗の人気店で、彼女も知っていたらしく、ナポリタンとカニクリームコロッケを注文して、ワインで乾杯をした。
「ねえ、聞いて 」
「何? 」
「私の好み知ってたの? 」
「いや、君が店のお客さんと話してるのを覚えてだけだよ 」
「よく聞いてたわね 」
「だって、こういうのって誘う側が決めておかなきゃね 」
「エライ。そうこなくちゃね 」
そんなやり取りもあっという間に過ぎていた。
彼女を駅まで見送った。
それから暫く経って。
社長が憩いで飲んでいた時に、酒の味が少しおかしいと感じていた。
同時に右の背中に痛みも感じ始めていた。
持病の糖尿が影響しているかと思い、主治医に相談して精密検査を受けてみた。
結果はスグに分かった。
肺がんでステージ4だった。
他の臓器にも転移しており、手術しても治る見込みが無いと説明された。
まさかと思ったが、既に社長の覚悟は決まっていた。
顧問弁護士の浅田と連絡を取り、会社の事、娘の純子の事で相談をした。
余命一年と宣告され、悩んでいる暇は無かった。
健康状態については専務の木村に秘かに伝えていた。
さらに、自分が死んだ後の事を考えて手紙を何通か残していた。
一年後、社長は旅立っていた。
弁護士の浅田が通夜の席に現れ、社長の遺言を伝える為、一週間後に関係者すべてが事務所に来て欲しいと告げていった。
約束の当日、関係者の前で弁護士の浅田が遺言を読み上げた。
会社の後継者として専務の木村を指名するとあり、臨時取締役会を招集して決議する旨が明記されていた。
財産分与に関しては妻の素子が二分の一を相続し、娘の純子が残りを相続すると浅田が読み上げた。
最後に三通の手紙があるので、関係者の前で読み上げるのが故人の意志であると伝えた。
まずは娘の純子に対しての手紙から。
「純子ちゃん。君の花嫁姿を見れなくてゴメンね。こんな別れ方をしなくちゃならなくて残念だよ。
この手紙を読んでいる頃、既にワタシはいなくなっている。
店で女将と一緒に手伝っている姿を見ながら飲む酒は本当においしかったよ。
短い間だったけど、お客さんを連れてきてはみんなを楽しませてくれて、鼻が高かったよ。
君は本当に機転が利いて、人に対する思いやりのある子だと思っている。
それから、君は女将に似て美人だから色んな男どもが狙っていたのは当然で、眼鏡に叶う男を探すのに苦労したよ。
ここまで言えば分かるよな。
女将から事細かに聞かされているから後は君次第だから。
それから君が生まれてくれた事に感謝する。
本当にありがとう 」
続いて恵介に対しての手紙。
「恵介。いや恵介さん。
実は君にはずっと黙っていたが、貴方のお母さんとは幼馴染でずうっと前から君の事は手紙のやり取りで知っていたんだよ。
昌子さんからは、東京の知り合いとだけにしておいてと口止めされていたんだよ。
就職の件で相談された時に、直ぐにウチ会社で働いてもらおうと思っていたんだ。
何せ、君は新聞配達しながら家計を支えていたのも聞かされていたんだ。
随分、貧乏したんだね、ボロボロの学生服を着ながら泥だらけのスニーカー履いて学校に通っていたんだよね。
当然、勉強なんてする時間が無かったのも理解する。
それでもお母さん思いの真っすぐな男に育ててもらったと思う。
だから面接でウチの会社に必要な人材であると判断したんだよ。
だけど君が黙々と働く姿を見ていたら、皆が応援したくなるのが分かったんだよ。
だって誰よりも早く来て、掃除して車磨いたり、急な配送の依頼があってもイヤな顔せずに得意先を回るのを見てたら、誰だって惚れちゃうよな。
だから他に取られる前に純子を紹介しようと思ったんだよ。
どうだろう。純子気に入ってくれたかな?
既に女将のお気に入りだから間違いないと思うけどね。
好き勝手な事、今頃言って申し訳ないが、君と初めて憩いで飲んだ時、昌子さんとの約束をようやく果たせた気がしたんだよ。
よくぞ私の会社に来てくれてありがとう。
君みたいな男と出会えて俺も幸せ者だと思う。
純子の事をよろしくな 」
三通目の手紙(慎二から昌子への手紙)
「昌子さん。故郷を離れ四十年経ちましたが貴方から届く手紙が唯一の心の拠り所でした。
便りを読む度に田舎で暮らした日々が思い出されます。
そして貴方が育てられた御子息は貴方が思う以上に素晴らしい男です。
仕事でも裏表のない働きぶりに感心させられました。
しかし、ここで謝らなければなりません。
貴方のご主人、村田浩一は私の兄なんです。
父の葬式の時に初めて知りました。
私が本妻でなく愛人の子だと言うことも。
それから、貴方と結婚した後に家庭を顧みなくなっていた事も手紙を読むまでまったく知りませんでした。
幼馴染みで隠し事をするような間柄では無かったハズてすが、この事を貴方に伝えたらこれまでの関係がすべて失ってしまうと思ったからです。
私も小さいながらも会社を興しました。
それまで惠介君と同じような境遇で育ちました。
必死に貧乏な暮らしから抜け出そうともがいていました。
そんな時に貴方から届く手紙を読む事で心が穏やかになるのでした。
だから昌子さん、貴方とは生涯、心の友であり続けたかったのです。
そして自分が少しでも貴方と恵介君の役に立てる事があればと考えておりました。
ちょうど就職の事で相談を受けた時は嬉しかったものです。
心のわだかまりが、少しは晴れてくれればと思いました。
人生そう捨てたモノじゃないと言いたかったんです。
ですが、この手紙を書いている今、自分の死期が近づいている状況です。
余命一年と言われ、既に半年が過ぎました。
まだこの世に未練はあります。
しかし時は待ってなどくれません。
随分と勝手な物言いをしますが、娘の純子がおりまして今年で二十三歳になります。
いつか娘の花嫁姿を見たいと思いましたが、叶わぬ夢となりました。
ですが恵介君に娘を紹介した所、お互い気に入ってくれているようです。
このまま添い遂げてくれたらと思います。
どうかこの事をお母さんとして認めてくれませんでしょうか?
それが今の私が望んでいる最後の希望なのです。
どうかお体、ご自愛ください。
さようなら 」
浅田が最後の手紙を読み終えて、
「ふぅっ 」
とタメ息をついた。
「これで依頼人からの遺言執行についてすべて終わらせてもらいます 」
それから半年後、十勝平野が見渡せる丘の上の社長の墓前に三人の姿があった。
恵介と純子、そして昌子であった。
とにかくありがとうございます。