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恩師

 中学二年のクラス替えで、渡部先生と言う女性が担任となっ
た。
 先生は既に五十代後半を迎えており、自分たちは彼女が最後に
受け持ったクラスでもあった。
 先生は必ず朝のホームルームになると諺を一つ教えてく
れた。
「一時が万事」
 わずか一つの物事から、他のすべてのことを推し量ることがで
きるの意。
から始まり、当時の中学生には何の事か理解出来ずにいた。
 だが先生はそんな自分たちにも、どんなシチュエーションで使
われるかを分かりやすく説いてくれた。
 他にも「衣食足りて礼節を知る」、「魚心あれば水心」、「諸
刃の剣」等が思い出される。
 初めの頃は、そんな事を教わっても何の役に立つんだと反発し
ていた。
 未だ十四、五歳の少年に世間の常識を教えているのを理解する
まで時間が必要であった。
 就職して社会に出てみると、その機会はすぐに訪れた。
 職場の上司や先輩から事あるごとに仕事上のミスや些細な事を
指摘される度に先生から教わった諺が出るわ出るわ。
 その一言が一々、身にしみてくるのである。
「これだったのか! 」
  だから先生は口酸っぱくなるほど、出来の悪い自分らにあれほ
どこの事を説いていたんだと。
  数年後、地元で同窓会が開かれた際に、クラスの仲間から出て
くる話題の殆どが
「いやあ、渡部先生の言うことは当たっていたなあ! 」
 と、みんなが語っていたのを思い出した。
  諺には生きる為に必要な処世術が多く含まれているんだと。
 そんな先生は独身であった。
勝手な憶測であるが、子供ながら若い頃はかなりの美人であろ
うと記憶する。
 独特のヘアースタイルで髪をアップにしてしていた。
 目鼻立ちはキリッとしてかなり印象に残る顔立ちであった。
師範学校卒と聞いていたから、戦後間もない頃に教職を志した
方で、当時お付き合いされた方が戦争に召集されてしまい、そ
のまま独身を貫かれたのでは?
 と思っている。
 自分もそれなりの年齢になってくると聞いていいことと悪いこ
との区別は理解している。
 意外にも自分は先生から気に入られていた。
 その頃の成績は学年でもかなり下位に低迷していた。
 学年で百二十番だったからホント馬鹿でした。
 あるとき、先生が勉強法の一つとして、授業で書いたノートを
読み返しなさいとアドバイスしてくれた。
 忘却曲線の話であるが、翌日に十分復習すれば100%回復する
理論のことである。
 自分でもどうしようもない馬鹿と自覚していたので、実践して
みることにした。
 意外にも効果はスグに現れて、中間テストで三十番まで上がっ
ていた。
 基本的な公式や漢字を思い出せなかったのがこれまでの自分で
あり、先生の言ったことを素直に試しただけなのだ。
 それから職員室に呼ばれては、個人的にアドバイスをもらうよ
うになっていた。
 恐らく、将来の可能性を見いだしくれてたんだろう。
 丁度、父親が胃潰瘍で入院したり、商売がうまく行ってないこ
とを人づてに聞いて心配していたんだと思う。
 おかげで高校受験の際に、県立の推薦入試制度がある事と奨学
金制度についても教えてもらいその両方とも叶うことが出来た
のだった。。
 今の自分があるのはそのおかげだと思う。
 先生には感謝の言葉しかない。
  今までの教師生活で数多くの生徒と出会ってきただろう。
  何千人、万人の中の一人として恩師と呼ばせてもらいます。
「先生、本当にありがとうございました」

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