![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131690992/rectangle_large_type_2_cadf8264de4dd03b8abd61c604a035c4.jpeg?width=800)
うちの子ジョニー
今日が二月二十二日ねこの日だと言うことをすっかり忘れていた。
我が家にもジョニーがいた。
虹の橋を渡って四年の月日が過ぎていた。
その死に際から旅立った頃について思い出してみた。
ジョニーがだんだんと弱ってきている。
ウチにきて15年目の事である。
先週の日曜に近所の犬猫病院に連れて行った。
腎臓の機能がかなり弱ってきており、脱水症状が進行していた。
ここ1年ぐらい痩せてきたのが気になっていた。
処方されたクスリを注射器で経口投与してあげていたが、それも効果が
みられなくなってきた。
そのせいか、足元がふらついて歩くのもままならない状態であった。
食欲もかなり落ちて、ここ数日は水すら自分の口で飲もうとしない。
病院の先生から「あと、もって一週間ですから」と告げられていた。
カミさんも不安げにジョニーを見守っている。
そんな姿を見ていると、大泉の犬猫病院でジョニーを譲ってもらった頃の記憶が思い出された。
小さくてかわいい声を張り上げて「ミャーミャー」と鳴いていた。
愛おしい。
子供が出来なかったせいもあって、日々の生活に潤いのようなモノをジョニーからもらっていた気がした。
テレビを見ながら会話の無い時に傍らにフラッと現れて、そばに寄っては、抱っこしてとおねだりされると妙に雰囲気が和むものである。
毎日のくらしに欠かせない存在なのである。
そんなジョニーを今はただじっと見守ってあげるだけなのである。
別れはすぐに訪れた。
今朝早く、ジョニーが旅立った。
カミさんも同じころ起きていて、まだカラダに温もりが残っているか確かめたがすでに冷たくなっていた。
目を開けたままであった。
なんてきれいな目をしているんだ。
濡らしたタオルでカラダを拭いてあげる。
自分で毛づくろいも出来なくなっていたから、少しは気持ちよくなるかと思ってである。
十五年と半年お疲れ様でした。
ウチの子で良かったかなんて、もう聞けない。
いつも会社に出かける時、玄関まで追いかけてきては、見送る仕草をしてくれたり、帰ってきて抱っこしながら「ウチに来てくれてありがとう」と言いながらつぶらな瞳でじっとワタシの顔を見つめてくれた。
長いようで短くも感じたジョニーとの年月であった。
お前がいてくれたおかげで随分と楽しいひと時を味わえたのは言うまでもない。
時にはネコパンチを見舞った事もあったが、それすら愛おしく思える。
あれから一ヶ月が経った。
毎朝、一番でカミさんと自分を起こしてくれていた日々が突然なくなった。
目覚ましをセットしてもしなくても、起きるようになった。
ご飯を食べながら、いつも側に寄り添ってくれたのが、ごく当たり前だった。
何か物足りない。
お世話になった動物病院に、ジョニーが死んだことを電話で知らせた。
「いままで良く診てもらいました。ありがとうございました。」
と伝えたあと、しばらくして花が送られてきた。
送り主は動物病院からであった。
まあ、なんて細やかな気遣いを。
玄関に遺影とともに飾ってあげた。
毎朝、出かける度にその花を見ては心が慰められた。
カミさんが、洗濯物をベランダに干そうとする際に、ジョニーが飛び出さないよう、いつもドアを閉めていたのを
「あー。もうそんなことをしなくてもよかったんだわ」
と聞くと、そんなわずらわしさが暮らしの中に多くあった事に気づくのであった。 そういえば、ソファーがあってジョニーがでんと、真ん中に寝そべって自分の定位置だと言わんばかりにただずんでいた。
どかそうとすると、ムッとした感じでパンチを繰り出すこともあった。
我が物顔で振る舞う主が、もうそこにはいない。
とにかくありがとうございます。