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さよならバックホーム

「焼き鳥を焼く香ばしいにおいがする。
 軟骨のコリコリした歯ごたえを、ホッピーで流し込む。
店の名は鳥正。
 会社帰りに通っている。
 東京に来て三十年、話すネタが若い頃の失敗や、野球部で猛練習に明け暮れた日々についてだ。
 マスターも昔、甲子園に出たとかで、その後、社会人で活躍したが、脱サラし、都内の有名店で修業をしてから、今の店を持ったらしい。
 話し方やお客さんのあしらい方が上手いのか、ここはマスター会いたさに来る客でいつも繁盛していた。
 ある時、常連の北村が俺の隣でこんな話をしてくれた。
「高山さん、都市伝説って信じるかい?」
「俺はあんまり信じないけど」
「過去に戻れるとしたらいつに戻りたい?」
「もったいつけないで早く教えろよ」
 酔ったせいで、少し口調が荒くなっていた。
「大体、五十過ぎで第二の人生って、ほとんど上手くいかないじゃない」
「青春時代に何か悔いは無かったかい?」
「それなら俺にもある。」
「一回しかチャンスが無いんだ」
 そして北村がもうひとつ付け加えた。
「条件がある。この上の来夢来人でカラオケで九五点以上出した後、五階の タイガーでギムレットを注文するんだ」
 思わず耳を疑った。
「なんだ、そんな事かよ」
 話を終えた北村は、5階のタイガーで飲みなおすと言って店を後にした。
 一人考え事しながら飲んだ後、勘定を済ませた。
 俺は、来夢来人に入った。
「あら、お久しぶりね。」
 すみれママが出迎えてくれた。
 カウタンターに座り、焼酎の水割りを注文。
「あなたの歌が聞きたかったのよ!」
「ママ今日は特にきれいだね。」
「いつもって言ってよ。」
 それからいくつ歌ったか覚えていなかった。
 何とか条件をクリアし、店を後にした。
 タイガーに入ると、カウンターの端に北村がいた。
「マスター、ギムレットくれ」
 店には俺と北村の二人しかいなかった。
 そして、彼が黙ってトイレの方を指さした。
 そっと耳元で囁いた。
 言われるまま、ドアを開け右手に物置があり、開けてみると真っ暗だ。
 だが一瞬、ゴォーという風が吹いてきた。
 光が見え、前に進むとそこは、高校時代のトイレだった。
 いつの間にか、野球の練習着に着替えて頭も坊主頭になっていた。
 本当にこんなことがあるのだと思った。
 西郷高校の野球部に舞い戻ってきたんだ。
「おい高山、早くグランドへ行くぞ。」
 チームメイトの呼ぶ声がした。
 急いでグランドへ走っていた。
 キャプテンの本間がいて、練習が始まった。
 キャチボール、トスバッテスィング、投内連携と練習メニューを淡々とこなしていた。
 当時、俺のポジションは投手だったが、コントロールに難があって三番手に甘んじていた。
 練習試合で先発させてもらいながら、肝心な処で四球の連発を繰り返しては押さえることが出来ずに監督やチームの皆から信頼を失っていた。
ずっとその事がトラウマとして残っていた。
 それでもバッティングに自信があって代打で活躍していた。
 但し、公式戦でのベンチ入りは叶わなかった。
 当時は日大附属が最大のライバルで、ここを倒さない限り甲子園の切符は手にすることは出来なかった。
 しかし、今こうしてタイムスリップして戻っている。
 カラダはあの頃のままだが、頭の中はタイガーから来た時のままだ。
「ようし、一丁やったるか!」
 俄然ヤル気満々の、中年オヤジの心に灯が就いた。
 そこから練習で猛アピールし、声出しやグランド整備も率先してやり、みんなが帰った後も一人残ってテイー打撃をした。
 何せ、高校生とは思えないみんなへの受け答えや、気配りに加え、試合中にピンチになれば全員を鼓舞するかけ声を発したりと、今までの信頼を失っていた自分では無かった。
 青春って書いて、アオハルなんて言ってるけどそんなのどうだっていい。
 そりゃ17か18のガキに比べて精神年齢が50過ぎ(間違いない)のオヤジが二度目の高校生をやるんだもの人生経験フルに発揮しちゃうよ。
 仕事でイヤイヤやるんじゃなくて、自分がやりたい事を誰かの役に立てればそれだけでもいいんだよ。
 それから練習試合でも出番が多くなり、公式戦メンバーに選ばれ、予選に
臨んだ。
 順調にチームは勝ち進み、決勝戦まで勝ち上がっていた。
 しかし、俺の出番は殆ど無かった。
 それでも、ベンチの中でメガホン片手に声が枯れんばかり吠え続けた。
 決勝戦の当日、対戦相手は当然、日大附属だった。
 試合開始のサイレンが球場に響く。
 ピッチャーの水口が振りかぶって第一球を投げた。
「スパーン」
 小気味いい音がど真ん中に決まった。
「ストライク!」
 さすがはエース、先頭打者を得意のスライダーでセカンドゴロに打ち取る。
 テンポ良く、三者凡退で切り抜ける。初回、西郷の攻撃。先頭打者が日大のエース斎藤からフォワボールを選ぶ。
 セオリーどおり、続く二番がバントを決めて走者二塁とした。
 そして三番がフルカウントまで粘った後のスライダーを三塁線強襲で二塁走者が生還し、先制点を挙げた。
 さらに四番本間がカウントを取りに来た甘い球を、センターオーバーのツーベースでもう一点が入った。
 しかしチャンスもここまでだった。
 斎藤も今大会ナンバーワンの評判通りで百四十キロ台のストレートとシュートを決め球に西郷打線を押さえこんできた。
 決勝に相応しく投手線となるが、五回に試合が動いた。
 日大の攻撃で、四番が四球を選んだ直後、五番のピッチャー斎藤が水口の高めに入ったストレートをジャスミートして、レフトスタンドへホームランを放った。
「わぁっー。」
 スタンドの応援席もこの瞬間どよめいた。
 同点となり、西郷ベンチに動揺が走った。
 それでも俺は必死に声を振り絞っていた。
 以前の俺なら、心の中でザマーミロと言っていた。
 だが、タイムスリップして戻ってきたのには訳があった。高校最後の試合で勝っても負けてもみんなと一体感を味わいたかった。
 俺だけ阻害感を味わっていたからだ。
 しかし、それも自分勝手な考えで、チームに対してやれることを何かやっていたのか?
 ずっとトラウマだなんて言って、逃げていたんだと。
 その後、水口が二塁を踏ませぬピッチングを続け何とか盛り返した。
 いよいよ最終回の攻撃。
 水口の球速が落ちてきた。
 得意のスライダーが決まらなくなってきた。
 日大のバッターもファールで粘る作戦に変えた途端、二者連続フォワボールとなった。
 続く四番を何とか三振でワンアウトを取るが、その間、三塁へ盗塁を決められた。
 そこに最大のピンチが訪れた。
 五番の斎藤に打席が回ってきた。
 ベンチが動いた。
「タイム!」
 監督の丸山が、突然ライトの守備交代を主審に告げた。
 ライトの後藤に変え俺の名前を伝えたのだ。
「なんでこんな絶体絶命の時に俺なんだ。」
 俺は、ベンチでヤジ将軍としてもり立て役に徹しているじゃないか!。
 今頃かよと、グチをこぼしていたハズが。
 なぜか、ライトへ向かって走っているじゃないか。
 公式戦最初で最後の出番が回ってきた。
 野球のセオリーで、必ず交代した選手の所へ打球が飛んでくるのだ。
 水口が斎藤の長打を警戒しながら、スライダーを連投した。
「カキーン。」
 予感は的中した。
 ライトオーバーの大飛球が飛んできた。
 サヨナラを警戒して浅めに守っていたので、打った瞬間、バックして打球を掴みに行った。
 グラブに何とか入った。
 ツーアウトでタッチアップの三塁走者が生還したらそこで試合終了だ。
 俺は死に物狂いで、フェンスギリギリから大遠投でホームに返球した。
 ボールは本間のミットめがけ、レーザービームが返ってきた。
 ランナーの足が速いか、本間のタッチか?
 際どい判定だった。
「アウト!」
「ウオッ!!」
 主審のコールに球場が思わずどよめいた。
 三塁側の応援スタンドから悲鳴とも絶叫とも聞こえる観衆の声が鳴りやまなかった。
 まだ、九回裏の攻撃が残っている。
 最後の攻撃で、ベンチ前で円陣が組まれた。
 本間が俺に向かって言ってきた。
「ありがとうな」
 その後何か言っていたが、覚えていない。
 先頭の菅原が斎藤のシュートに差し込まれ、サードゴロと思った瞬間、日大のサードが焦って一塁へ悪送球。
 次の打者は俺だった。
「みんなありがとう。ここまで来れたのも俺にしちゃまぐれだったんだ」
 なぜか清々しかった。
 ずっとベンチで斉藤のフォームに何かクセが無いか見ていたから、変化球を投げる時にグロープの持ち方が微妙に動くのを見逃さなかった。
 極端なクローズの構えで打席に立った、シュート対策だ。初球からくると読んでいた。
 斉藤がクイックで投げた。
「きたっ。」
 内角低めのシュートを振り抜いた。
 打球はショートの横を抜けて、外野を転々としていった。
 サードコーチャーが右手をブルンブルン回していた。
 それを見て菅原が、三塁ベースを蹴って、ホーム目がけ走った。
 外野の返球がショートを中継し、バックホームへ一直線。
 ヘッドスライディングした瞬間、菅原の手が先にベースへ届いたか?
「セーフ、セーフ」
 主審の声が響いた。
「勝った。サヨナラだ」
 みんなベンチから飛び出し抱き合い、涙があふれていた。
 その後、選手や補欠組もいろんな人たちからもみくちゃにされながら球場で優勝の余韻を味わっていた、俺はこっそりその場を抜け、球場のトイレに駆け込んだ。
「もう帰らなければ」
 扉を開けると再び、ゴォーと風が吹いて、光が見えた。
 タイガーに戻ってきた。
 不思議なもので、タイムスリップしていた時間が随分長く感じられた。
 時計を見るとほんの一、二分しか過ぎていなかった。
 しかしポケットの中に俺がバックホームで投げたボールだけはしっかりとあった」

とにかくありがとうございます。