見出し画像

カウント8で起て

この男の名は片桐丈一。
幼い頃、父親が多額の借金を作ったまま蒸発し、母親と貧しい暮らしを強いられていた。
彼は少しでも家計の足しになればと毎朝、新聞配達をしながら学校に通っていた。
 そのくせケンカが滅法、強かった。
 放課後や駅前で理不尽な目にあっている下級生を不良達から守ってあげていた。
 中学を卒業する頃、経済的な理由で進学はとうにあきらめていた。
 そんなある日、職探しのつもりで街中を歩いていたらボクシングジムの練習風景が目に留まった。
 あまりに見入っているものだから初老の男が声をかけてきた。
「君、そんなに興味があるならここで金を稼ぎたくないかい?」
大倉の口癖はいつも、
「カウントエイトで起て。」
 どんなに追い詰められても諦めるなという意味で、ボクシングのルール上ではカウント8までに起てばダウンとみなされなかった。
 ダウンした直後にパニックになってすぐに立つな。
 8カウントまで休んで呼吸を整えろとも言える。
 彼にはハングリー精神の素質があったのだろう。
 毎日、基礎トレーニングやランニングに励みながらそば屋のバイトを続けていた。
 そのひた向きな姿勢に会長やトレーナーも秘かに期待していた。
 4回戦、6回戦、8回戦、10回戦とラウンドも上げながら試合経験を積んでいき、東洋タイトルも手に入れた。
特に左ストレートから繰り出されるパンチに威力があった。
 次々と現れる強敵もこれで倒してきた。
そしてわずか五年で世界戦に指名されるぐらいまでにランキングを上げていた。
 いよいよ明日は世界タイトルマッチだ。
計量も無事パスした。
これまでの過酷な練習もすべてこの試合のためである。
 実は試合の興行をめぐりプロモーターの渋谷と会長との間でファイトマネーについて揉めていた。
 この渋谷は、自分が組んだ試合でも相手が弱小ジムと見るや八百長を持ち掛けるほどの守銭奴だった。
 それに気づいた会長が、コミッショナーにタイトルマッチの無効を訴えて裁定が下され、新たなプロモーターの武藤が仕切ってくれた。
 前評判は挑戦者不利と言われたが、なんとか判定に持ち込み僅差で勝利した。
その後8度の防衛に成功した。
 引退後は稼いだファイトマネーを元手に焼肉屋を開いた。
 連日ファンや業界関係者で店も繁盛した。
現役の頃から記者達と仲が良かったのもありマスコミ関係とも交友を広げていた。
 そのお陰でテレビのコメンテーターとしてお茶の間に顔出すまでになっていた。
 しかし人生一寸先は闇である。
従業員のバイトテロが発覚した。
 A5ランクの牛肉を産地偽装して実は米国産の輸入品を使用しているとでっち上げられている模様がSNSで拡散されると徐々に店の売り上げも落ちていった。
警察に被害届を出したがとうとう捕まえる事が出来なかった。
なぜならテロを仕掛けた男は既に日本にいなかったのである。
そして客足も以前ほど伸ばすことができずに店を閉めざるを得なくなっていた。
丈一もその事で精神的に参ってしまい連日、ワイドショーのレポーターに追われ、逃げる場所もなく部屋に引きこもっていた。
 ある日、携帯が鳴った。
「ジョー。俺だよ。覚えているかい。」
 現役の頃、取材に来ていた渡会だった。 
「もう俺のネタじゃ何も出てこないですよ。」
「いやぁ、君に聞かせたい話があってね。」
「渡会さん。何が言いたいんですか?」
「まあ、君にさんざん世話になったから恩返しだよ。」
 後日、待ち合わせの喫茶店で度会と会った。
 ある詐欺集団が捕まった話を聞かされた。
 取り調べを受けた犯人の供述で、あるレストランチェーンを狙ってバイトテロを仕組み、風評被害を起こすことで株価を操作する仕手があった中に、丈一の店もなぜか含まれていたと、知り合いの刑事から教えてもらっていた事を。
 しかし、たかがタレントの出す店などターゲットにする理由が見当たらなかったので
捜査関係者も事件性が無いと判断された。
度会の話には続きがあった。
 未だ捕まっていないメンバーが国外に逃亡している事も警察は把握していた。
 捜査線上に以前、世界戦のタイトルマッチでトラブルのあった渋谷の名が浮かんでいる事である。
 そう言えば犯人の男を最初面接したとき、自分の大ファンだから是非ここで働かせてくれという事で雇ったハズであった。
 もしかすると渋谷の方が黒幕で詐欺集団と結託して、ついでに自分の店にメンバーの一人を送り込んできたのかと確信してきた。
「このままやられっ放しでいいのか。」
「そうですよね。無性に闘志が湧いてきましたよ。」
「それでだ、相手もしたたかな奴だ、強力な援軍が必要と思い頼んでおいたよ。」
 度会が後ろの席の男性に声をかけた。
「お待ちどおさま。」
なんと、以前窮地を救ってくれたプロモーターの武藤だった。
「ジョー、今度の事は気の毒に思うよ。」
「どうして俺を助けてくれるんですか?」
「君の闘志をまた見たくなったからさ。」
 彼はボクシング界を離れ、今では映画ブロデューサーとして辣腕をふるっていた。
「細工は流流、最後は君が得意の左ストレートで決めてくれよ!」
 ハリウッドから、元ボクサーを俳優として起用したいとキャスティングのオファーがあった。
 武藤は日本人の元世界チャンプを推薦していた。
 この件を密かにゴシップ誌に流していた。
 そしてなんと、あの渋谷が話を嗅ぎつけて、丈一に連絡をしてきた。
 “カウントエイトで起て”と会長の口癖がふと頭をよぎった。
「何度ダウンしても焦るな。ようやくリベンジのチャンスが巡ってきた。」
早速、武藤に知らせ、一計を案じた。
当然、渋谷が仕切ると言い出すのは目に見えていた。
自分を助けるホワイトナイトになろうとする策略にまんまと乗ってやる事とした。
マスコミ各社を呼んで大々的に記者会見を開くのだ。
渋谷にはとりあえず軽く打ち合わせ程度で会いたいと連絡をいれた。
約束の当日、待ち合わせのホテルのロビーに現れた。
「丈一君、今回は大変だったねえ。ワタシは君が困っているのを見かねてなんとかチャンスの機会を設けられないか考えていたんだよ。」
 同時に後ろにいた男も話しかけてきた。
「やっと会えましたね。渋谷さん。」
彼が驚いた先になんと武藤がいたからだ。
「分かりますか、これは丈一君の店でバイトテロがあった時の調査資料ですよ。」
 よく見ると、当時従業員だった男は渋谷が黒幕だった詐欺集団メンバーで、バイトテロを仕組んでSNS上にアップするよう、渋谷から命令されたと証言が記録されていた。
 それとご丁寧にその男の証言を録音したボイスレコーダーまであったのだ。
だがしぶとい奴で、暫くダンマリを決め込んでしまいラチが空かない。
業を煮やした武藤が追い打ちをかけた。
「アンタも往生際が悪いな。警察に告発しに行きますよ。それと今の話、ネットに同時配信されてますよ。」
 すると他の客が一斉に立ち上がり、カメラのフラッシュが放たれた。
大勢の取材陣の中で渡会が、口火を切った。
「まるでワイド劇場の展開ですが、今の気持ちを率直に願います。」
「一体、何が起こっているんだ。」
 誰がこんな周到な準備をしていたんだろう。
 しかも刑事が2人も現れて、渋谷に任意同行を求めた。
 パトカーに乗せられて警察に向かうシーンまで中継されネットニュースのトップを飾っていた。
 後日、警察の厳しい取り調べによって渋谷の過去の罪が次々と暴かれていった。
 被害総額なんと500億という前代未聞の事件であった。
 こうして一度は世間から見放された丈一も、武藤の後押しもあってハリウドッドの映画俳優としてデビューし、すっかりアクション俳優としての地位を確立するまでになっていた。
 人間どんなに追い詰められても最後まであきらめるな。
 カウント8まで休んでいろ。
 呼吸を整えてさあ、ラッシュだ。
 

とにかくありがとうございます。