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お世話になりました・麻布編

上京した頃働いていた会社が西麻布にあった。

自分がいた頃は大手自動車メーカーの電装部費品

を扱っていた。

一緒に商品の発送を手伝っていたおじさん達に聞

くと、朝鮮戦争やベトナム戦争の時には相当儲け

たらしい。

給料が月に2回もあったらしくトラック関係の部

品やプラグが飛ぶように売れ、それこそ高度経済

成長期の思い出を語ってくれた。

本当か知らないが、社長が戦後腰に蹄鉄型の磁石

をぶら下げては鉄クズを拾い集めては売り歩いて

それを元手に会社を興したなんてハナシもあった。

自分は商品管理という部署に配属され(物流全般・

荷造りや発送が主な仕事)会社の扱う商品をまず

覚えるのが最初の仕事であった。

とにかく、クルマと言ってもメーカー毎にたくさ

んの部品の集合体であり電装品と言えどもマニュ

アルが事細かに書いてあり、ロット毎に製品番号

がびっしりと載っていた。

11桁の番号にも決まりがあって、メーカーや車

種、年式が実に系統だてでいた。

最初は何のことかさっぱり解からず、ただ伝票に

書いてある型式の注文を商品棚から見つけて発送

するのが精一杯であった。

当時は仕事のマニュアルなんてないから、先輩の

仕事を見て覚えろとか盗めなんて言うが自分なり

のコツを見つけるのは至難のワザだった。

ボルトのゲージ1つ取っても微妙に長さが違ってお

り、メーカーの仕様書を見て注文されてパーツが

どのエンジンのどの部分にあたるかを分解図を見

て判断するんだから慎重にならざるを得なかった。

だから最近の物流システムのスゴさは30年前の

自分には創造すら出来なかった。

だが1年も経つと、毎日マニュアルを眺めていた

せいもあり、仕様書に書いてある主なパーツの特

徴を暗記できるようになってからは、発注伝票に

書いてある品番のパーツを問屋ごとに傾向がなん

となく理解できると、朝会社に入ると商品棚の数

量をメモに取るようになり、問い合わせが来ても

現在庫がいくらか答えられるようになっていた。

勘と経験で仕事を覚えた最後の世代だったのかも

知れない。

今はすぐ効率重視と言うが、そこに至るプロセス

で苦労した人間でないとその言葉の意味する理念

はピンとこなかったかもしれない。

とにかくありがとうございます。